川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                     夜の東大寺


   月に2度、奈良に所用で来て20年。
   あるていど奈良の事をしっているつもりだったが、物知りの友人から大仏蛍の事を聞いた。
   東大寺にいるという。ゲンジボタルだが、大仏さんのおひざ元なのでそう呼ぶらしい。
   小雨が降ったりやんだりの夕刻、さっそく蛍に会いに出かけた。

   境内はひっそりとしていた。夕方のせいだろうか、それとも雨のせいだろうか……。
   南大門の仁王像もライトが落ちて、憤怒の形相もさだかではない。
   私達は蛍が出るまでのあいだ、二月堂からの景色を眺めることにした。
   手向山八幡宮の参道を歩く。
   杉の巨樹が辺りをより暗くしている。遠くから鹿が私たちを見ている。
   なんだか異空間に紛れ込んでいく感覚だ。雨で少しもやっているのかもしれない。
   それにしても、なぜ、誰もいないのだろう。
 
   三月堂辺りにも人影はなかった。シーンという音だけが聞こえる。
   広い境内にいるのは、私と彼女だけだろうかと不安になる。
   「東大寺を独り占めやねえ」と言ってはいるが、正直気味が悪い。
   気丈な彼女も怖いらしく、「ここは早々に退散して、二月堂に行こう」と、足を早めた。

   どうやら夜の東大寺は男性とくるところの様だ。

   「うそっ!」
   長い石段を上った二月堂には、夕焼けが広がっていた。さっきまで傘を差していたというのに。
   若い外国人の男性が3人、手すりにもたれながら朱色の空に見入っている。
   目の下には良弁杉が影絵のようなシルエットを作り、金髪の男性たちの横顔は塑像のように
   美しい。
   私は夕焼けの下の街を眺めながら、自分の仕事場辺りを探した。
   「もう20年か、20年になるのか」と、わずかな感慨にふけりながら。
   二月堂の舞台は誰もが無言で、心地よい静寂に包まれている。


   大仏蛍は二月堂を下りた大湯屋の辺りに出るという。
   さすがに十数人の人がちらほらと小川の辺りを眺めている。それでも十数人だ。
   「たとえ1匹でも2匹でも出会えたらいいのにね」、私たちも闇をにらみつける。
   「光った!」、誰かが小さく叫んだ。
   その声を合図のように、あちこちで光が揺れた。
   それは湧き上がるとまではいかないものの、水色の光を点滅させながら、遠く近くで、
   ふうわりふうわりと空気の流れに任せ、優雅にたゆとう。緩やかな光跡が流れる。
   なんという贅沢な時間と空間だろう。

   なぜこんな美しいものがこの世に存在するのだろう。
   私には、儚い命とひきかえの美しさに思えてならない。
   蛍はこの世とあの世を行き来する、生き物だとか。
   あの世に行った魂が、6月にだけこの世に戻ってくるのだろうか。

   8時を告げる鐘が鳴った。
   群れから離れた蛍が1匹、鐘の音に乗って飛んできた。
   近寄ってきたのは母だろうか、父だろうか、それとも……。

   大仏蛍に出会えた人は幸せになるらしい。
   私はこの夜の蛍で、充分に幸せになれた気がしている。
   
                            2018.6.16