川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                       美しい色



    「久しぶりにお茶でもしましょうよ」ということで、友人と橿原神宮駅で待ち合わせた。
    久しぶりも久しぶり、約10年ぶりだ。

    誰の思いも同じだとみえ、目当てのホテルのラウンジは満員だ。
    少し時間をずらそうと近くの久米寺へ足を運んだ。
    雪柳は盛りを終えていたが、桜は満開で、何より蘇芳の鮮やかな赤紫が美しい。
    まさに花の寺だ。
    本堂にお参りする前に小さなお堂の縁に腰掛けた。銀ねずみ色の猫がのそりと起き上がり
    私達に場所を譲った。そこで少し喋った後、本堂に向かった。

    「このお寺、気にりました」と、彼女は言った。参拝客は彼女と私の2人っきりだ。
    本堂の前の椅子に腰掛けて、私達は話し続けた。10年の空白を感じない。
    私達の共通項は息子が大好きだということだ。
    これからは息子に心配をかけないように生きなきゃね、としみじみと言い合った後、
    思い出したように夫にも、と付け加えた。

    数人の参拝客がやってきたのを潮時に、本堂をおりた。

    小さなお堂の前に差し掛かった時、彼女が「スマホが……」と指さした。
    私達が座った縁に、濃い桜色のスマホがちょこんと置いてある。
    「あれっ、私のだ! 忘れていたんだ」
    スマホの横には、こんどはトラ猫が座っていた。
    「スマホを見張ってくれていたんだね」
    でも私が座っていた場所とは微妙に違っている。微妙に死角なのだ。
    忘れた本人には分かるが他人には分かりづらい場所。
    私はスマホをその場所に置いてくれた人の配慮に頭が下がった。
    
    心の中で、あれっ、スマホがあるって思ってたんですが、言葉に出して良かったです。
    彼女は言った。
    彼女が言葉にしてくれなかったら、大変な目にあうところだった。
    言葉って大事だなあ……。
     
    濃い桜色を見るたび、今日を思い出すだろう。優しい1日だったと。


                  2021,3,31