川上恵(沙羅けい)の芸術村 | ||||||||
エッセー | 旅 | たわごと | 雑感 | 出版紹介 | ||||
水仙 生き方が雑だな、と常々感じている。 たっぷりと時間のあるこの時期を好機と捉えて、少し丁寧に生きてみようと思った。 柄にもなく。 だが一生懸命は好きじゃない。ゆったりと穏やかに、丁寧にがいいな。 さて、何から始めようかと考えた。 もう一度、茶華道を始めてみようか、それとも座禅を組もうか。香道もいいな、写経も いいな。 どれもこれも、少し齧って辞めたものばかりだ。 ああ、やっぱり私は雑でガサツだ。 そうだ、まずじっくり物を眺めることから始めよう。 はてさて、何を眺める? 本は疲れるし、美術品は敷居が高い。 そこで毎月、季節の花をじっくり愛でることにした。 どうして丁寧に生きる事と、花を愛でることが繋がるのか、はなはだ疑問だが、せっかちな 私はともかく決めた。 というわけで1月は水仙だった。 千早赤阪村の水仙郷は3年ぶりだ。 広々とした棚田の斜面を爽やかな香りが流れている。見物客は数人ほどだ。 マスクを外し花に顔を近づける。 「心の中が洗われるみたいやねえ」 雑な私はいつになく、丁寧に丁寧に、花々を見て回った。 堪能して帰ってみると、衣服に移り香がついているのか、水仙の香りが漂った。 だが、それは移り香のような有るかなしかの香りではなく、鮮明で清々しい香気だ。 「うん?」 観音竹の下に置いた鉢植えの水仙が咲いている。 昨年の暮に葛城山の麓で買った、水仙と葉ボタンの迎春用の寄せ植えだ。 「わあ、咲いたんやね。八重の水仙なんだね」 「わざわざ遠くまで行かなくても、私が咲くのに」 「そうだね。今年の水仙は、貴女が1番でなくてはね」 葛城の麓の水仙は私だけの水仙である。大切に育てて、来年も咲かさなくっちゃ。 2021.2.1 |