川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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               幸せなんだ……



    ウン十年ぶりに知人と食事をした。
    子供が小学校の時の友人だから、それはもう古い古い知り合いである。
    
    日本料理店の椅子に座った途端、お茶もまだ運ばれてこないのに、
    「私、血液検査の結果が悪くて、どうやら腎臓の働きが……」
    『えっつ、会話の始まりがそれなの。久しぶりに会ったのに』
    私は目の前の彼女を見た。私より2歳年長である。
    私の目の色は少し非難めいていたかもしれない。
    「オシッコが濁ってるの?」
    もう1人の彼女が身を乗り出した。こちらの彼女は同年齢である。
    『今から食事なのに、食事の席でそんな話をするの』
    食べ物が不味くなるなあと、私はテンションが下がった。

    付きだしに始まり、刺身、天婦羅、蓋物、茶わん蒸し……と、お決まりの料理が運ばれる。
    だが、料理は変わっても話の内容は変わらない。
    腎臓の話が心臓になり、腰痛になり、得体の知れないダルさになり、目の話になり……。
    
    「子供が小学校時代は変化に富んでいて、大変だったけれど楽しかったわね」
    話をふるが、彼女達は上手に話を元に戻すのだ。そのテクニックたるや、感心するばかりだ。
    「ねえ、ねえ。最近どこかへ行った?」
    懲りずに私は話題を変えるべく、1人場違いに明るい声を出す。
    「腰が痛くって、とてもとても」
    話は近所の整形外科の話になった。
    場所を変えたお茶の席でも、話の内容は変わらなかった。
    
    たまりかねて私も言ってみた。
    「血栓がね目の血管に飛んで、片目が見えなくなったの。怖かったわ」
    ところが反応は「ふーん」だけだった。
    私は話したことを後悔した。


    1人になって、私はYさんやSさんを思った。
    歩くのもままならないほどの体なのに、決して彼女たちは愚痴をこぼさない。
    無理をしてでも、外に出られる幸せを喜んでいる。
    季節の移ろいを目で楽しみ、趣味を同じくする仲間と語らい、会食を楽しみ……。
    ツッパリ屋の私の周りはツッパリ屋が多い。自己愛が強いのかも知れない。
    でもツッパルって、とても大事だと思うけれど。
    人間いちどタガを外してしまったら、とめどもなく愚痴はこぼれ続けるものだから。
    人間って、弱いものだから。
    愚痴と自慢話は美しくないと、私は思っている。

    愚痴ってもいい人は、命に関わる病を持っている人だけ。
    そういう人は大いに愚痴って、心の負担を軽くしても許されるだろう。


    殊勝な気持ちになった私は、素敵なこと楽しいことを指折ってみる。
    飲み友達がいっぱいいる事、価値観の近い人たちと関われている事、
    車や電車に乗っていればご機嫌なこと、庭に草花があること、
    脳出血と脳梗塞の両方を患ったのに、夫は愚痴をこぼさないこと、などなどなど、
    いっぱいだ。
    
    普段は忘れているけれど、私は幸せなんだ。
    それとも私は協調性に欠けるのだろうか。
    
                        2019.7.16