川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                      さようなーらー



   こんな事ってあるんですね。

   「そしたらまた来週、頼むわな」、いつもはそう言うだけなのに、その日に限って母は、
   送り迎えをかっている私の夫に、車の窓を開けてくれるように頼み、
   見送る私に向かって、こう言ったのだった。
   「めーちゃん、さようなーらー」
   無邪気な子供のように、両の手を高くあげ大きく振りながら。とびっきりの笑顔だった。

   どうしてそんな事を言うの、いつもは言わないのに……。

   心臓の悪い母は、木・金・土曜日を私の家で過ごした。
   私の家に来るのが何よりの楽しみで、水曜日の夜は遠足を明日に控えた子供のように、
   鞄に荷物を入れたり出したりと、木曜日の迎えが待ち遠しいようだった。

   ふと不吉な気がした。
   その不吉な気分を追い払おうと、おどけて母以上に大きく手を振り、
   私もまねて、「さようなーらー」と言った。
   おどけないではいられなかった。妙に不吉すぎて。
   
   夫が車を出そうとすると、ちょっと待ってと言い、ほとんど視力のなくなった目で、
   私の顔をじっと見た。正確には、顔の辺りをじっと見つめた。
   そしてまた、
   「めーちゃん、さようなーらー。おおきにー」と言った。
   「さよなら」でも「さようなら」でもなく、「さようなーらー」だった。

   夫が車を出した。
   動き出した車に向かって、私はあわてて、「また木曜日にね」と、大きな声で言った。
   声は母に届いただろうか。
   私は母を乗せたアイボリー色の車が、角を曲がって見えなくなるまで見送った。
   また木曜日にね。
   母もきっと振り返って、見えない目で私を見ていたことだろう。

   それが母との別れだった。
   三日後に誰に看取られることなく、自室で、1人で逝ってしまった。突然死だった。
   あの時、私が大きく手を振らなかったら、さよならを言わなかったら、神様は母を
   連れ去らなかったかもしれない。
   
   
   今朝、アイボリー色の車を手放した。新しい車と入れ替えだ。
   いままで何台も車を乗り替えたのに、この車との別れは寂しい。
   車を出そうとする夫に、あの日のように、ちょっと待ってと言いながら、
   後部のドアーを開け、母の定番の席、助手席の後ろのシートを、そっと撫でた。
   そして、車が角を曲がるまで見送った。

   愚鈍なほど几帳面な母らしく、きちんと私に別れの言葉を言って、母は逝った。
   虫が知らせたのだろうか。
   
   こんな事って、あるんですねえ。

   
                         2018.7.2