川上恵(沙羅けい)の芸術村 | |||||
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文字に残すこと 昨日に続いて、今日は古いメールを読み返している。 2000年からの大事なメールは、削除せずに残してあるのだ。 ゆっくりスクロールしてゆく。 20年前が鮮明に現れる。 当初はメールをやりとりする人がなく、送信相手は息子ばかりだ。 律義に、息子はメールを返してくれている。仕事が忙しいのにも関わらず。 やがてポツポツとメール友達ができ始める。最初のメル友はNさん。 それでも圧倒的に息子宛てのメールが多い。私は折々の心情を書き連ねている。 息子にだけは泣き言を言っているのだ。甘えた母親だ。 大怪我をしたのは、2001年の2月13日だったのか……。 退院後は何か月も車椅子に乗っていたのか。車椅子の後は杖をついていたのか。 怪我の後遺症には今も苛められているのに、それらの事はすっかり忘れていた。 2004年からは、心臓や肺の検査漬けの日が続いている。すっかり忘れていた。 スクロールする。 「梅の木学問」? どんな学問だ? 梅の木は成長が早いが大木にならないところから、進み方は早いが大成しない学問をいう。 反対は「楠学問」。楠学問をしなさいよと、甥を相手に知ったかぶりをしている。 だが、今やそんな言葉はすっかり忘れてしまっている。 「書くという原点に戻りなさい」と、何人からもの進言のメール。 「貴女が1番気にしなくてはいけないのは、自分のことですよ」 彼や彼女からの、優しい言葉の数々も、すっかり忘れていた。 それにしても忘れ過ぎではないか? 文字によって鮮明によみがえる記憶。 今になって分かる相手の真意、言いたいことの真実。 文字に書き残すことの大切さを、痛感した2日間だった。 メールは私にとっての日記、満たされた2日間だった。いや、20年だった。 そういえば、最近、息子へのメールが減ったなあ。今夜は打とう。 2019.3.23 |