川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                    蜘蛛が殺せない


   蜘蛛が殺せない。
   芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のせいだろうか。
   死後、極楽に行ける自信のない私にとって、蜘蛛は地獄から救ってくれる頼みの綱である。

   だが正直、あまり気持ちの良い生き物ではない。

   ところが私の部屋には、毎夜蜘蛛がどこからともなく現れて、薄いペパーミント色の壁に
   張り付くのである。
   直径1センチほどの、真っ黒な蜘蛛である。
   毒蜘蛛のセアカコケグモではないかと、目を凝らすが、赤い模様は見当たらない。
   そのつど団扇ではたいて庭に追い払うが、翌日になると、また壁に張り付いている。

   部屋は庭に面していて、大きなガラス戸がはまっている。
   狭い庭には雑多な木や草花が、思いのままに枝を伸ばし葉を茂らせている。
   蜘蛛の出入り口や、巣があるのだろうかと、丹念に室内や窓の辺りを探すが、
   それらしきものは発見できない。
   不思議なことに、私の部屋にだけいるのである。

   あまりに毎夜出没するので、ひょっとして40数年前に亡くなった祖母が、
   人間に転生できず蜘蛛になって、私の前に現れているのだろうかと、勘繰りたくもなる。
   あまたいる孫の中で、とくに私を愛した祖母だった。

   だから、殺せないのである。
   大人しい小さな蜘蛛なのに、妙に気になるのだ。


                              2018.5.7