川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                     菊水飴



   友人から懐かしいものを貰った。
   水飴風の柔らかい飴だ。それも由緒正しい、北国街道の名物の菊水飴である。
   今なお江戸時代からの製法で、手作りだ。砂糖や添加物は一切入っていないそうだ。
   「虚弱体質、病後、下痢、産前産後の滋養剤として」と効能書きが添えてある。
   残念ながら、産前産後に用はないが、すっきりしない体調を心配して友人が買ってきて
   くれたのだ。
   
   嬉しくて、さっそく同封されている小さな棒に、白い飴を絡ませ、クルクルと巻いてみる。
   そして飴を練る。
   粘ってくるにつれて指の感覚がすべらかに変わってゆく。覚えのある手ごたえだ。
   真珠色の光沢が美しい。
   口の中に入れる。
   なんと上品な甘さだろう。350年の歴史が舌の上に広がる。
   

   子供の頃、毎日のように水飴を食べていた。
   3時過ぎになると、チリンチリンと鐘の音が聞こえてくる。
   太いタイヤの自転車の荷台に四角い木の箱を積んだ、水飴屋の小父さんが振り鳴らす
   鐘の音だ。
   音は私の家の前の路地で止まる。
   路地には木が植わっていて、格好の休憩場所だ。
   小父さんの商売は夏はアイスクリーム、冬は水飴売りと変わった。
    
   小父さんは箱の中から硬い水飴を箸に巻き付け、渡してくれる。
   私は2本の箸でクルクルと巻き付け、水飴を伸ばしてゆく。
   透明だった水飴が、白い絹のような光を放つようになると食べごろだ。
   時には気分を変えて、赤い食紅を付けてもらうこともあった。

   毎日毎日、私は水飴を食べた。
   毎日毎日、鐘の音は私の家の前で止まった。

   最初の内こそ水飴を珍しがっていた子たちも、次第に鐘が鳴っても路地に来なくなった。
   私のように毎日食べる子はいない。
   小父さんは私のためだけに、毎日木の下に自転車を止めた。

   だが流石に、私も水飴を食べるのに飽きてきた。
   『もし私が買いに行かなかったら、小父さんはどうするのだろう……。
   売り上げが減ると困るだろうか……』
   私はそういうことを気にする子供だった。
   子供1人の売り上げなど、大したこともないのに、子供の頃というのは、すべてが大事件
   だった。

   小父さんは足が悪かった。1年中ゴム靴を履いている。
   悪い方の足のゴム靴には、ゴムバンドが巻かれていた。

   ある日私は何日も悩んだ末、水飴を買いに行かなかった。
   道端に面した窓を細目に開けて、太いタイヤの自転車とゴム靴を眺めていた。
   小父さんは長い間、鐘を振り鳴らしていたが、やがて自転車を押して路地を出て行った。

   なぜだか知らないが涙が出そうになった。
   そんな日が何日か続いて、やがて水飴屋は来なくなった。
   

   菊水飴を舐めていると、いろんな人の顔が浮かんでくる。
   風邪ひきの時、水飴に大根をつけた上澄みを飲ませてくれた祖母や母。
   水飴屋の小父さん、そして私の健康を願ってくれている友人。
   灯りが灯ったように、心の中が暖かい。
   棒を咥えたまま、私は甘やかな思いに浸っている。


                     2018.12.2