川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                     返しそびれた本


   「貸本屋」は、いまでもあるのだろうか。
   図書館とも古書店とも違う匂いのする、暖かで懐かしい場所……。

   ずいぶん昔の話だ。
   私の住む辺鄙な村に、新しい店が出来た。店は、下駄屋と仏壇屋の間の、狭い間口に造られた。
   こんなことは、10年に1度あるかないかの出来事だ。
   学校の帰り、何の店だろうと覗いてみると、入り口のガラス戸に、
   【本貸します 清々堂】と、筆で書かれた細長いビラが貼られていた。

   本を貸す商売があることなど知らなかった私は、ひどく驚いた。
   貸本屋はこの田舎の村に、文化の匂いを運んでくれる気がした。
   文化とは、伝統とか、人間を発展向上させることだと、このあいだ社会科で習ったばかりだ。
   走って帰り10円玉1つ手に、それでも恐る恐る店内に入った。

   間口1間半、奥行き3間ほどの細長い店だ。
   入り口をのぞく3方の壁一面に書物が並び、本の匂いが降ってくるようだった。
   なんだか大人になった気分だ。
   小説、雑誌、漫画などが、それぞれのコーナーに整然と並んでいる。
   背表紙には白い小さな紙が貼ってあり、記号や数字が書いてある。
   50歳ぐらいの小父さんは、奥の片隅に風呂屋の番台のような場所をつくり、目立たないように
   座っていた。

   小父さんが座っている座布団には、洗い立ての真っ白なカバーがかかっていた。
   カバーには硬いくらいの糊がついていて、丁寧にアイロンがかけられている。
   小父さんは少し足が悪かった。
   歩くときは、片足をひきずるようにして歩いた。
   松葉杖が傍らにひっそりと立てかけてある。
   脇に当たる部分には、痛くないように綿当てがしてあった。
   小父さんの奥さんは、几帳面で綺麗好きで、そのうえ優しい人なのだと感心をした。

   不思議なことに、この店はお客が入ってきても、決して「いらっしゃい」とは言わない。
   八百屋も荒物屋も下駄屋も、お客の顔を見れば、すかさず声をかけるのに。

   やがて貸本屋は私にとって、なくてはならない場所になった。

   気に入った本が見つかり、その本を借りるとき、小父さんは大学ノートに本の記号と番号を
   書き、返すと線を引いて消した。
   時には店内で漫画一冊を立ち読みすることもあったが、小父さんは何も言わない。
   だが時おり、
   「漫画ばかり読まずに、たまには文芸物を読みなさいよ。恵ちゃんは6年生なんだから。
   本はいいよ。いろいろなことを教えてくれる。
   おすすめは太宰治だけれど、夏目漱石の“坊ちゃん”か、川端康成の“伊豆の踊子”あたりが、 
   読みやすいかもしれない。大人になっても、ずっと本を読む人になってもらいたいな、
   恵ちゃんには」

   「小父さんは学校の先生みたいなことを言うねんね。小父さんは本をいっぱい読んだ?」
   「ああ、いっぱい読んだよ」
   「それで何か役に立った? 何か本から学んだ?」
   「キツイ質問だな、一本やられた。恵ちゃんは利発だ。そうだな、本から学んだことは沢山
   あるけれど、役に立ったかと聞かれると、返事のしようがない」
   小父さんは少し困ったような顔をした。
   そして、これを読むといいよと、私に一冊の本を手渡した。

   
   次の日から夏休みが始まった。
   私は祖父母の家に泊りに行き、昼間は従姉妹と川で泳ぎ、夜は花火をして遊んだ。
   毎日が面白く、1日があっという間に終わった。
   
   だが、5日後に家に帰り、勉強机の前を通ったときの私の驚きといったら……。
   心臓が痛いほどに動機を打った。ちらりと目に入ったのだ。
   机の上に清々堂の本があるのを。

   「本を返すのを忘れてる!」
   今までの楽しさが一挙に吹き飛んでしまった。
   母に言えば、だらしがないからだと叱られるにきまっている。 どうしよう。
   「ごめんなさい」と謝れば、小父さんは許してくれるのだろうか、本代はいくらになっているの
   だろう。
   次から次へと心配事が沸き上がってきて、私の心は破裂しそうだ。
   
   10日たち、2週間たち……、本代は小遣いでは、とうてい払えない金額になった。
   あんなに楽しかった貸本屋は、1番辛い場所になってしまった。
   私は貸本屋の前を顔を隠しながら、小走りで通るようになった。
   そんな日がずいぶん続いた頃、友達が、
   「小父さんが、本の事は気にせんでええって、ゆうてたよ。また読みにおいでって。
   待ってるよって」

   優しい一言は、ますます私を辛くさせる。
   私は清々堂へは行かなかった。
   どんな顔をして小父さんと話をすればいいのか、分からなかったからだ。

   家には返しそびれた本が残った。
   私は本を裏の物置に隠した。
   背表紙に張られた白いシールを目にする勇気がなかったのだ。

   小父さんが勧めてくれた本は、世界名作全集、ヴィクトル・ユーゴーの「ああ無情」である。

   それにしても幼い日の心根のなんと、一途でいじらしいこと。そして痛いこと。
   小父さん、私は今も老眼鏡片手に本を読んでいますよ。本を読む大人になりましたよ。
   いまでも、たまーに、「ああ無情」を読みますよ。

                        2018.6.8