川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                癒しの空間を奪わないで


   電車に乗るのが好きだった。
   ストレスに押しつぶされそうになると、私は電車に乗った。
   車窓を流れる風景、ガタゴトという単調な音、心地よい揺らぎ、駅名だけを告げる
   車掌のアナウンス……、次第に癒されてゆく。

   ところが最近、癒されるどころかストレスを感じるようになった。
   車内アナウンスである。

   私は近鉄吉野線と、橿原線をよく利用する。時間帯はお昼前。
   吉野線は乗客もまばらで、車内はのどかだ。
   橿原線もほとんどの乗客が座れる有様だ。
   京都や奈良のように大きなスーツケースを押した、外国人の姿もあまり見かけない。
   
   アナウンスが始まると、私は落ち着かなくなってくる。
   日本語に続いて、英語、駅によっては中国語のテープも流れる。おまけに韓国語も。
   毎度おなじ音量と抑揚の機械的な声が、延々と車内を流れる。耳について仕方がない。
   
   私は肉声のアナウンスが好きだった。
   車掌によって、異なるリズムや声音は暖かい感じがした。
   駅名だけを告げるシンプルさも心地よかった。
   「失礼しました、次は○○駅です」と、駅名を間違えて訂正するのもご愛敬だった。

   だがテープは1度たりとも間違わない。
   「まいど近鉄電車にご乗車いただき有難うございます」に始まり、次の駅名はもちろん、
   どちらのドアーが先に開くか、挙句はご注意くださいまで、懇切丁寧に説明をする。
   つづいて、そっくりそのままの英語の説明が始まる。
   乗っているあいだじゅう、否応なしに、人間のではない、テープの音を聞かされる。
   機械の声は無機質で、マニュアル通りの業務連絡を聞かされている気がする。

   急行が西ノ京を過ぎたあたりで、
   「本日は近鉄電車をご利用いただき有難うございました。大和西大寺、西大寺です」
   「えっ、西大寺はまだ先やんか。そうか、テープを流し間違えたんだ」と、溜飲を下げたが、
   なんのことはない。延々続くと英語と中国語を、西大寺駅に着くまでに流し終えるための、
   都合だったのだ。

   これがサービスだろうか。
   外国に行ったことがないので分からないが、外国でもこのようなバカ丁寧な日本語のテープが
   流れているのだろうか。
   日本人はどんどん幼稚化していくようで、寂しい。
   
   これからも私は、ストレスがたまれば電車に乗るのだろうか……。
   

                              2018.7.1