川上恵(沙羅けい)の芸術村
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            晩夏



    晩夏っていいなあ。言葉の響きも、人生における年齢も。
    同じような気候でも「初秋」という言葉より、ずっといい。初秋は清潔すぎる。
    
    晩夏には、
    盛りの暑さはないけれど、まだまだ夏の余韻が、埋火のように残っている。
    その気怠さがいい。成熟した大人の女みたいなのがいい。
    若さを失ってゆく少しの物悲しさがいい。少しの翳りがいい。
    少し暑さに疲れた風情もいい。


    彼女が言った。「私、いま晩夏かな」。本気で言っている。
    私は一瞬言葉に詰まったが、頷いて、「そうだね」と言った。
    優しい日差しが窓から差し込み、彼女を包み込んでいる。

    病室の彼女の腕は張りを失って、痛々しい。
    だが熱に潤んだ目は、悪戯っぽく笑っている。
    まるで無邪気な子供、痩せた天使。背中に羽根を隠してるんじゃないかしら。
  
    「そう、晩夏だよ」と、私は痩せた天使の手を握った。

    そして彼女は晩夏の気分のまま、氷が張った朝に亡くなった。75歳の天使だった。
    亡くなる前って、天使になるのかなあ。



               2019.9.7