川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                  有難くない初体験


    エビと黒豆ののし餅が食べたくて、「道の駅ふたかみパーク當麻」へ出かけた。
    バウンドケーキと花も買ったあと、近くの「二上山ふるさと公園」を30分ほど散歩
    することにした。
    しっかり歩きたい派の夫とは、散歩のコースは別々だ。
    30分が過ぎ車の近くまで戻ってくると、夫が青い顔をして両手を見せた。
    ひどい出血だ。転んだという。

    数年前、夫は転んで顔面を打ち、硬膜下血腫で入院した。
    過去には脳出血を起こし、現在は脳梗塞の薬を飲んでいる。脳内は満身創痍なのだ。
    脳梗塞の薬は血液をサラサラにするので、出血が多く、止まりにくい。
    顔も打ったらしく顎や唇が切れている。それに両膝も。
    ひとまず車内で応急手当をし、様子をみることにした。夫の両手が震えている。
    「顔、打ってしまった」と、しょげている。
    以前の硬膜下血腫の折り、今度、顔面を打ったら保障は出来ませんよ、と医者から厳重な
    注意を受けているからだ。

    タクシーで帰ろうと勧めるが、もう少し車の中で様子を見ると頑固である。
    しばらくすると、右足は動くなと、ブレーキを踏む真似をする。
    「ど、どうするつもり?」
    「どうやらブレーキは踏めそうだ。ただし手が動かないのでギアチェンジが入れられない。
    頼むわ」と、いとも簡単に無理なことを言う。
    「そんな。車なんか触った事もないのに、ぶっつけ本番で操作なんかでけへんよ」
    「僕が口で教えるから。大丈夫、貴女なら出来る」
    レバーのボタンを押して、前に動かしたり、後ろに動かしたりするのだという。
    危ない!無理!出来ない! だが結局、出血で顔色の悪い夫に私が譲歩した。

    少し走らせて無理だと思ったら、車をそこに置いておくことを条件に車を出した。

    穴虫方面に出る165号線はトラックが多く、スピードを出している車もある。
    そこで車の少ない竹の内峠回りで、ノロノロと帰ることにした。
    なにぶん峠である。アップダウンが多い。
    下り坂に差し掛かかるや、夫は「レバーの場所をDからLにして!」とさっそく指示をした。
    おっかなびっくりだが、上手く操作が出来た。
    「やった!」と喜ぶ間もなく、上り坂だ。「LをDに戻して」とまた指令が飛ぶ。
    夫の手を縛ったハンカチが赤く染まっている。
    無事に家までたどり着けるのだろうか……。
    また下り坂だ。また上りだ。また下り、上り……。

    
    診察の結果、骨折はしていないが、硬膜下血腫の件は数日間安静にして様子を
    見る事になった。
    硬膜下血腫はじわじわと出血するので、当日では分からないのだ。

    翌日、私は歩けないほどの腰痛に見舞われた。脊柱管狭窄症が悪化したのだ。
    身体をねじり、緊張しながらギアチェンジの操作をしたせいに違いない。
    幸い夫は大事に至らなかったが、私の腰痛は夫の安静期間より長引いた。
    
    本当に人生は何が起こるか分からない。なんとも有難くない初体験であった。


                       2023、3、5