川上恵(沙羅けい)の芸術村
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     河内再発見

                      三宅一号墳


   大阪には世界遺産が一件もない。近畿の他の府県にはあるのにである。
   けれど、今年の夏ごろには、大阪にも「百舌鳥古市古墳群」が、世界遺産として
   認定されるかもしれない。

   ところが不思議なことに、めでたいことが大好きで、いちびり精神旺盛なはずの河内の人達が
   少しも盛り上がらない。シラーっと、他人ごとである。
   うーん、どうしてだろう? 

   古市古墳群は、中河内の藤井寺市から羽曳野市にかけて、4世紀の後半から6世紀の
   中頃までに130基が築造された。だが、現在では45基を見るだけだ。
   古市古墳群には大型の前方後円墳が多く、200m以上の巨大なものが7基もある。
   むやみやたらに世界遺産を有難がるつもりはないが、この貴重な財産は守る価値がある
   と思っている。

   だが、どうして隣の松原市には古墳が少ないのだろう。
   古市古墳群と堺市の百舌鳥古墳群に挟まれた地域なのに。
   私が生まれた場所なのに……。

   私は松原市の事をもっと知りたいと思った。
   故郷を離れた人間は、あんがい故郷のことを知らないものだ。
   生まれた土地の事を何ひとつ知らないことに、恥ずかしさと、不義理をしているような
   後ろめたを感じた。
   甘やかな懐かしさで、私は松原市について少し勉強をした。


   「うそ! 三宅中4丁目って……」
   ―― 三宅一号遺跡。三宅中4丁目に位置する遺跡。形状は円墳ないしは、帆立貝式
   古墳と考えられ、円墳の場合、直径は周濠を含め約70mになり……。
   なお三宅地区では、権現山遺跡やその他古墳があったかもしれない地名が残っている
   など、将来的に古墳跡が発見される可能性があるので、当古墳を三宅一号墳とも
   称しておく ――と書かれていた。
   
   「うそ、ほんまに。信じられへん」
   同じ言葉をまた繰り返した。
   実家は松原市三宅中4丁目……である。
   灯台下暗しとはこのことだ。
   そういえば、権現山という名前には聞き覚えがあった。

   家から200mほど離れた田んぼの中に、小高い丘があった。
   ずっと東の方には墓地があり、月に一度くらい焼き場の煙突から、白い煙が立ち昇った。
   葬列の日以外はお百姓さんの他に人影はなく、あちこちにある溜め池は沼のようで、
   薄気味の悪い場所だった。

   「子ぉとりが来るから、権現山の方へ行ったらあかんで。
   子ぉとりにさらわれたら、サーカスに売られんねんで」
   大人たちは子供を権現山に近づかせないように、口癖のように言った。
   聞き慣れた私たちは、
   「酢を飲ませられるのやろ」と、口答えをする。
   そして、なおも「なぜ?」と聞くと、狸や狐が住んでいて、化かされると脅す。
   それも古老の狸や狐で、化かすのが上手いらしいのだ。

   駄目だと言われれば、余計に行きたくなるものだ。
   小石まじりの斜面から滑り降りたり、かくれんぼをしたりと、子供たちの格好の遊び場だった。
   
   丘には木が生い茂っていたか、どうだったか……。
   あの小山が古墳だったのだろうか。
   だから大人たちは崇敬の念で、子供たちを近づけさせなかったのだろうか。謎だ。

   興奮冷めやらぬ私は、さっそく弟に電話をした。
   「なあ、知ってた? あんたの家、いやいや私の家でもあるけど、古墳の上に建ってる
   らしいよ」
   「古墳って、あの天皇家の墓か?」
   「いいや、うちの家の下の古墳は、そんな大したもんやないらしいけど、それでも
   古墳は古墳や。はっきりしたことは分からへんみたいやけど」
   「それで納得したわ。なんや縁起の悪いことが続くと思うた。体調も悪いしな。祟りかな」
 
   「まさか。あんたはほんまにマイナー志向やな。けど夢のある話やと思わへん?
   掘ったら、金銀財宝がザックザックと出てくるかもね。ここほれワンワンの花咲か爺さん
   が掘ったのは、古墳やったのと違う? で、悪い爺さんが掘ったのは、人骨ばかりの古墳」
   「めえちゃん、悪いけどあんたの話には付き合うてられへん。頭いとなってきたわ」
   「権現山って名前、覚えてる?」
   「もう電話、切るで」

   西日が入る大きめの窓。吊るされたカーテンは、何の変哲もない白い木綿。
   ぎしぎと軋む廊下。長い分銅の付いた鳩時計。T時間ごとに鳩が小窓から飛び出して、
   時間の数だけ鳴いた。
   一段下がった板張りの台所。玄関の大きな靴脱ぎ石。裏庭の便所。
   そして、真っ赤なカンナ。

   夢に出てくる住居は、決まって生まれ育った家だ。
   それにしても、よく覚えているものだと感心をする。
   意識下では、私にとっての家は、生家なのだろうか。
   三宅一号墳の上に建つ家なのだろうか。
   亡くなった父母が生前より、もっと恋しくなるように、歳と共にますます三宅町が
   懐かしい存在になる。

   母が無くなって実家に帰ることは滅多になくなった。
   先日、小山が気になって久しぶりに訪ねてみると、風景が様変わりしていた。
   小山の跡には車の修理工場が建ち、辺りには今風の住宅が並んでいる。
   
   もうこれでは狸狐は住めないなと、墓地の方を眺めると、高い煙突も消えていた。

   どうか河内の人達に、いや大阪中の人達に、これ以上古墳の姿が消えないように
   熱くなってほしいものだ。