川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                       花をいける


   最近、無性に花を生けたくなる時がある。

   離婚した母は、茶華道を教えて私と弟を育てた。
   現在のように、あちこちにカルチャースクールなどというものが無い時代である。
   村中の適齢期の娘さんや隣村の娘さんが、狭い我が家に習いにこられた。
   茶道と華道、合わせて100人は下らなかっただろう。
   だから、生業として成り立ったのだ。母も私も弟も時代に助けられたのだ。
   古い家は、床が抜けそうだった。

   後年母は、子供たちが大きくなるまで、どうか生徒さんが減らないでほしい、と
   気が気でなかったと洩らした。
   楽しんで茶華道を教えられるようになったのは、きっと子供たちが結婚してからだろう。
   亡くなる数年前まで、少人数だが弟子をとっていた。
   私が花を生けたくなるのは、母が恋しいせいかも知れない。

   ある春の日、私と従姉妹が泊っているホテルのエントランスで、係りの人が大ぶりの
   花器に桜を生けようとしていた。

   「桜、きれいやね。枝ぶりもええねえ。生けたいな!」
   私の言葉に従姉妹も、「生けたい!」
   次の瞬間、私たちは思わぬ行動をとっていた。

   「厚かましいですが、その桜、生けさせて頂けません?」
   男性は、一瞬ギョッとした顔をしたが、私たちの剣幕に怖れをなしたのか、
   よろしくお願いします、とその場を去った。

   添えの花はなんだったか……。
   あんなに真剣になったのは、久しぶりだった。
   やがてエントランスは、はんなりと桃色に染まった。

   私と従姉妹が母から習った流儀は「未生流」。
   だが若い日の私は、直角二等辺三角形によって形づけられる未生流より、
   シンプルな立華の「池坊流」が好みだった。
   未生流が「天・地・人」を基とした宇宙観や、仏教の精神から発した生け方だとは
   知る由もなかった。

   家から車で2、30分の、南河内郡太子町に妹子塚はある。小野妹子の墓である。
   
   推古天皇15年(607)、小野妹子は突如として、歴史の表舞台に登場する。
   大礼(たいらい)という冠位を引っさげての登場である。
   大礼は冠位12階の5番目の冠位にあたる。
   琵琶湖畔の小さな小野村の若者が、いきなりこのような高位を授かるはずはなく、
   おそらく以前から太子に目をかけられていたのだろう。

   同年7月、小野妹子は遣隋使節の大使として、難波津から船出をする。
   彼の懐には、聖徳太子から隋の皇帝・煬帝(ようだい)に宛てた国書があった。
   「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや……」
   で始まる、かの有名な国書である。

   この国書が煬帝を激怒させたのは言うまでもないが、どういう手法を使ったのか、
   煬帝の関心を我が国に向けさせ、隋との国交を開くという大任を無地に果たした。
   小野妹子はたいした若者である。

   587年、聖徳太子は四天王寺建立のための用材を求めて、京を訪れた。
   そこで霊夢を見、烏丸あたりの池のほとりに六角形の御堂を建て、守り本尊の
   如意輪観音像を安置した。

   池の坊舎の仏前に朝夕、花を供えたのが、池坊流の起りである。
   供花をしたのが、後に出家をした小野妹子や、妹子を始祖とする僧侶である。
   ちなみに一族からは、小野篁(たかむら)や小野道風など有能な人物が排出している。


   100段の石段を上った奥の、眠ったような妹子塚は、ひっそりと美しい。
   石段の両側には春は桜、梅雨のころは紫陽花、夏は蝉時雨、秋の紅葉と、
   まことに花を扱う池坊に相応しい。樹々のトンネルを潜るようだ。
   塚は池坊によって管理されているそうで、その清浄さにも納得がいく。

   小高い山の中腹からは、推古天皇陵などが真下に望め、のどかな河内の風景が
   見渡せる。
   人気もなく、聞こえるのは鳥のさえずりと、木の葉ずれの音だけだ。

   だが毎年、数百人の人達で賑わう1日がある。
   小野妹子の命日の6月30日だ。
   その日は、池坊関係者による墓前祭りが執り行われ、白菊や黄菊が献華される。

   それにしても若いころというのは、なぜ、あんなにも学ぶことが嫌いだったのか。
   学校の勉強しかりである。
   キラキラと変化にとんだ楽しい事が周りにありすぎて、じっと腰を据えて一つの事に
   取り組めなかった。
   花を生けていても、茶室に座っていても、心はフワフワソワソワと、宙を舞っていた。
 
   なんとも勿体ない事である。今ならもっと性根を入れたのに。

   鶏頭にカンナ、都忘れに秋海棠、そして萩……。
   子供の頃は見向きもしなかった花が、好きになってくる。
   そして何より、未生流が好きになってきたのは、面白く嬉しい事である。

   「竹の籠に、真っ赤なグラジオラスを投げ入れにしたいなあ」
   今頃になって華道に目覚めた私を見て、あの世で母は苦笑していることだろう。
   それとも手放しで、喜んでいるだろうか。