川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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      パソコンの休眠中の河内再発見です。
      時間的なズレがあると思いますが、シリーズなのでご容赦下さい。

        河内再発見

                    後妻業

   「後妻業」。黒川博行氏の直木賞受賞後第一作である。
   赤い帯には、「爺を騙すのは功徳や」とあり、圧倒的なリアリティー、絶妙なテンポと語り口、
   息をつかせぬ一気読みの展開、炙り出される人間の業 ―― と紹介されている。

   黒川氏の本を読むのは初めてだが、受賞後第一作だから読む気になったのではない。
   弟から、「藤井寺市と羽曳野市が舞台で、流石にリアル。なんというても肩がこらんのがええ」
   と、勧められたのだ。

   そうですか、爺を騙すのは功徳ですか、それなら私は功徳がたりません、
   と、ツッコミを入れつつ、表紙を繰った。
   出てきた、のっけから羽曳野市が。
   69歳の主人公・小夜子が91歳の体調の悪くなった夫を、農林センターに置き去りにする
   シーンである。

   ―― ベンチはどんなとこにあるんや
   ―― 桜並木の外れ。牛の放牧場の近く。まわりに金木犀の生け垣があって、
       大きな泰山木の陰になってるから、歩いている人は気ぃつかへんと思う。
   羽曳野の農林セインターは広い。敷地は10万坪もあり、放牧場は散歩コースから
   外れているという。

   「正確に描写してはるなあ。確かに金木犀の生け垣があるわ。さすが地元の作家やなあ」
   余計な箇所に感心しながら、読み進める。
   「あっ、ここは私の友達が住んでるマンションやんか。へえ、小夜子を住まわせてるんや。
   黒川さん、この辺も歩き回らはってんなあ」

   「藤井寺球場、憶えてますか。近鉄のフランチャイズ。あの跡地に建ったみたいです」
   藤井寺球場の文字を見ただけで、胸の奥がキュンと痛くなった。
   
条件反射のように、意識があの日にさかのぼる。
   地鳴りのような歓声が、耳の奥に木霊する。
   華々しかった1989年の球場が、目の前に甦り踊りだす。

   近鉄バファローズは9年ぶりのリーグ優勝を果たし、初めての本拠地球場での日本シリーズ
   開催となった。
   なんと大方の予想を裏切って、初戦から巨人に3連勝するのである。
   だがその後のまさかの4連敗。
   負けてもファンは、「よう、やった!」と熱かった。
   現在では信じられないだろうが、藤井寺市にあの巨人軍が来たのだ。

   だが2006年の春、夕方には蝙蝠が飛び交った、あのだだっ広い球場はなくなってしまった。
   跡地には、「近鉄バファローズ本拠地・藤井寺球場跡」の銘盤のある、野球小僧のブロンズ像
   が、街行く人を眺めている。

   読み手に土地勘があるというのは、どうやら小説を2倍面白くするようだ。
   麻布や六本木や代官山といった、東京のお洒落な街の代わりに、藤井寺駅前の
   ハンバーガーショップや古市駅前の銀行、羽曳野市駒ヶ谷の霊園が次々に登場し、
   そのたび私は、それらにまつわる出来事を思い出し、懐かしむのだった。
 

   小説の内容は、小夜子が結婚相談所で紹介された老人と、結婚あるいは内縁関係になり、
   次々と彼らを殺害し、遺産を手にする話である。
   
   内縁関係の場合は公正証書を作り、遺言状を作成させる。
   小夜子のバックには結婚相談所「ブライダル微祥」の代表・柏木が付いていて、彼が財産 
   を持っていそうな老人と小夜子を結びつけるのだが、40代の柏木は、小夜子とは金儲け
   だけのパートナーだ。

   ―― 大壱条 遺言者は、遺言者の有する財産のうち羽曳野市……の土地及び
       家屋を除く財産の全部を、遺言者の内縁の妻竹内小夜子……に包括して
       遺贈する。


   これが正しい遺言状の書き方かと、少しだけ丁寧に読み頭の隅に置いた。

   夫は妻の言いなりだ。妻に嫌われたくないのだ。
   妻がこの家からいなくなってしまうのを考えると、寂しくて恐ろしくてならないのだろう。
   おうおうにして、男性の方が女性よりも寂しがりやだ。それにロマンティストでもある。
   女性ほど疑り深くないし、意地も悪くない。可愛げのある単純さも持ち合わせている。
   勿論どんな場合にも例外はつきものだが、これらは大半の女性が認めるところだ。
   口には出さないが。

   最近、この小説を地でいく事件が発覚し、マスコミを賑わしている。
   あまりのタイミングの良さに、作者は複雑な心境に違いない。
   お陰で、男性を手玉に取れそうにもない女でも、公正証書などという言葉とは馴染みになった。

   私は会う人ごとに、この本を紹介した。
   先日、読み終えた知人に、
   「どうだった? 面白かったでしょ」と聞くと、彼は、
   「藤井寺市の印象が悪なるなあ……」と、冷静な一言。
   「ギョッ」
   それを聞いて、私は自分の中に流れている、なんでも面白がる、いちびりな河内の血を
   再発見したのだった。

   最後に黒川氏に一言。
   小夜子の出生地が北河内郡門真町というのは、ちょっと気に入りません。
   なぜ門真なのか、なぜ河内なのか、河内の女なのか……。

                                太字は本文より抜粋
                                2018.5.1