川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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               目・歯・でんぼの神さん


     病院が怖い。それは怖いという域を超えて病気である。しかも重症。
     原因は分かっている子供の頃のトラウマを引きずっているのだ。

        そんな私には病気を治してくださるという神様の存在は、
     このうえなく勿体なくも有難い。

            目の神さん
     ある日の朝、突然に目の中一杯に蜘蛛の巣が張った。
     しかも真っ黒で太い糸だ。眼球を動かしても蜘蛛の巣は張り付いたまま動かない。
     なじんだ飛蚊症とは少々様子が違うと、冷汗が流れた。
     だが病院怖い病の私は、目薬を差したり目を冷やしたりして、数日を過ごした。
     しかし一向に蜘蛛の巣の色や大きさは変わらなかった。
     意を決して、牛が廜殺場に運ばれる時の心境を思いつつ眼科へ行った。

        眼底の太い血管が二本、切れているという。
     結局、手術は免れたが、穴が塞がるのに六か月を要した。
     目の性が悪いのは母譲りで私も息子へバトンを渡してしまった。
     息子には済まなく思っている。

     富田林市にある滝谷不動尊は八二一年、弘法大師によって開かれた。
     縁起によれば、どこからともなくやってきた年老いた一人の盲僧が、
     ご本尊の霊験を説き、小堂を建て日夜礼拝したところたちまち晴眼となったという。
     以来、眼病平癒の霊像としてひろく信仰されるようになったそうだ。
     「目の神様」「芽の出る不動様」などと呼ばれ、
     不動尊の縁日である二八日は大勢の参詣者で賑わっている。

     くすぶる線香の煙を手で掬っては、欲張りな私は何度も目に当てるのである。

            歯の神さん
        気がつけば歯の痛みの質が変わってきたようだ。
     錐で突き刺すような、触っても飛び上がるような尖った痛みは影を潜め、
     鈍痛が多くなった。それもそのはず、神経を抜いた歯が増えたせいだ。
     あの痛みは神経が健在だった若さの痛みだったのだ。
     何事によらず年齢と共に痛みは鈍化するようである。精神の痛みでさえも……。
     あの鋭い痛みは敬遠だが、私の精神が繊細で鋭かった証のように思えて、
     ふと懐かしくもあるのだ。


        松原市に鎮座する柴蘺(しばがき)神社は反正天皇の丹比(たじひ)柴蘺宮跡である。
        反正天皇は仁徳の第三皇子で別名瑞歯別命(みずはわけのみこと)と呼ばれていた。
        その名が示すように、歯が立派で、珠を貫いたようにきれいであったと伝えられている。
        そのうえ容姿美麗だったとか。
        祭神として菅原道真や依羅宿禰(よさみのすくね)と共に祀られている。

      天皇の瑞々しい歯にあやかろうと、本殿の傍に歯神を祀る社があり、
     歯磨面が建立されている。「日本で唯一の歯磨面」である。

        歯並びの良い健康的な歯を見せ笑っている髭の生えた能面、
     とでも説明すればすればいいだろうか。

     「この面を指先でふれて大神様の御加護を頂き、
     健康の源である歯がいつまでも丈夫でありますように」との説明が添えられている。

        河内には歯性の悪い人が多いのか、歯医者のギーギー・ガーガーの
     音が怖い人が多いのか、石面の歯の色は手垢で黒ずんでいた。


                 でんぼの神さん

        オバチャン達の原宿と呼ばれる石切りさんは勾配のある参道に
     140件もの店舗が店を連ねている。漢方薬・占いの館・七味唐辛子……。
     一度だけお百度参りをしたことがある。


        息子が高校生の頃だ。ポツポツとニキビが出た。
     色白の顔にニキビは目立つようで、息子より私の方が気になった。
     そこで宣伝文句につられ、深く考えもせず息子に薬を勧めた。


        あくる日、ポツポツだったニキビは一気に増えた。
     薬剤師に相談したが、納得のいく答えは得られなかった。
     親思いの息子は、「ええよ、気にせんでも」と一言の文句も恨みも言わなかった。
     それが私には堪えた。



        デンボもニキビもそう大差ないだろうと、生まれて初めてのお百度参りとなった。
     手に一〇〇本の紐の束を持ち、善男善女がぞろぞろと一列になって
     本殿と百度石を往復している。
     看病疲れや、やつれた人の姿が目に付く。
     ニキビごときで申し訳ないと思いながらも、人の後をゾロゾロとついて歩いた。
             
     石切劔箭(つるぎや)神社の名は、どんな強固な岩でも切れ、刺し貫くことの出来る、
     剣と矢を御神体として祀っていることによる。
     神石をも切り裂く剣の神徳で、腫れ物やデキモノごときは、簡単に切り取って
     しまうので「でんぼの神様」となったようだ。


        昔はデンボは死に直結する病であったようで、
     徳川家康は小牧長久手の戦いの後、背中の腫れ物で死にかけたそうだし、
     足利尊氏も確か背中の腫れ物が死因だったとか。

        たかができもの、されど、できものである。

        石切りさんの御利益か、それとも年齢のせいか息子の顔にニキビはない。
     息子は私がお百度を踏んだことを知っているだろうか。


        頼りなかったが、必死に母親をしていた頃が懐かしい。