川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                               鶏頭



     村におスミさんという人がいた。
     旧家の離れを借りての一人住まいだ。
     おスミさんは祖母の友人だが、私の友達でもあった。というより、私にそう思わせてくれていた。
     父のいない私は多分に世の中をすねていて、その上、早熟でもあったから、周りの級友の
     あまりの無邪気さが眩しくて、係わり方が分らなかった。
     そんな私を、おスミさんはさりげなく気遣った。

     おスミさんは江戸っ子だ。
     河内の人達の中にあって、彼女の言葉は歯切れがいい。聞いていて惚れ惚れするほど、
     威勢がよかった。
     定年をとうに過ぎているのに、「人間、働けるうちは働かなくっちゃ、お天道様に申し訳がない」
     と、会社務めを続けていた。
     勤め先は大阪市内にあったので、着るものも垢抜けている。
     仕立てのよいスーツを着、低めのヒールをはいている。鞄は教師が持つような、
     四角い革の鞄だった。モンペ穿きやアッパッパ姿の多い中で、その身形は人目をひく。
     生まれも育ちも東京らしいが、すっかり河内の生活に馴染んでいた。
     だが、昔のことはあまり話さない。

     私の顔を見ると決まったように、
     「いいねえ、若い人は。見ていて、こっちまで浮き浮きしてくるねえ。心根はいうまでもないけれど、
     女はミバも大事だよ。今のうちからせっせと磨いておきなさいよ」
     と、河内の人達が決して口にしないような事を、子供相手に話した。

     ところがある冬の日、決まり文句の後に、
     「この村は情が深くていいねえ。私はこの村がとても気に入っているのさ。いずれ、村はずれの
     無縁墓地に入るから、その時は会いに来てくれるかい。思い出してくれるかい」
     と、冗談っぽく付け加えた。だが目の色は笑っていない。
 
     中学生の私は、こくりと頷きながら、でも、おスミさんは死なないよと、必死に慰めにならない
     慰めを口にした。
     「馬鹿だねえ、死なない人間なんていないのさ。でもね、死んでも死なないんだ。
     だって、あんたが私の事を思い出してくれる時は、頭の中だか心の中に、私の姿や声が
     出てくるだろう。だから思い出してくれている間は、私は死なないのさ」

  
     村はずれの墓地は、真夏の太陽が痛いほどに真上から射している。
     お盆の墓地は賑わっていた。
     辺りには線香の匂いがむせるように充満しているのに、無縁仏の前には、短くなった細い緑色の
     線香が、1本立っているだけだった。
    
     無縁仏はうず高く積み上げられ、小山のようだ。
     目鼻の定かでない小さな石仏や、風化して戒名も読めない墓碑や、
     漬物石のような丸い墓石もあった。おスミさんはどの辺りにいるのだろうと、墓石に顔を近付けるが、
     欠けていたり苔のようなものが張り付いていたりで、名前の読めないものがほとんどだ。

     「おスミさん、約束どおり今年も会いに来たよ。おスミさんが言っていたことは本当だね。
     死んでも死なないのさ、ってこと」
     私は真っ赤な鶏頭の花と、線香を1束手向けた。
     鶏冠のような鶏頭は、炎のように空に向かって燃えているようだった。

     おスミさんが亡くなって、もう30年になる。