川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                  忘れないでね



     椿が狂ったように咲いた。
     3月25日の、私の誕生日を祝うかのように。
    
     狭い北向きの庭なのに、ピンクの大きな花が、重いほどに枝についている。
     四海波という種類だ。
     薄桃色に臙脂の斑が入っていて、まっ黄色のシベが豊かだ。
     どの花も、微笑みかけているような風情だ。
     
     横においてある、鉢植えの白い椿も、ポチポチと咲いた。
     一重の楚々とした椿である。私は勝手に侘び輔だと決めている。
     1点の染みもなく、陽に透けた美しさは、汚れのない乙女を思わせる。
     
     おまけに早咲きの桜の花までもが、咲いている。
     それにしても今年のこの花の付きようは、どうしたことだろう。
     
     「あっ!」
     そうだった。
     この場所は昨年の夏なくなった、ネルの居場所だった。
     赤い屋根の犬小屋を置き、椿の根元に鎖をつないだ彼女の場所だった。
     沢山の椿は、私を喜ばせようとネルが咲かせたのだ。
     椿は私の一番好きな花。
     
     ワタシを忘れないでね……。

     ネルからのメッセージだと気づいた。
     そういえば10年ほど前、私が長期の入院から家に戻った日も、椿が満開だった。
     ネルは私のいないのを不審に思い、待ちかねて待ちかねていたのだ。
     その思いが椿に伝わったに違いない。

     ネル! 私も父さんもジュンちゃんも、みんな貴女のことを忘れないよ!
     ほら、椿の根元の鎖は、そのままにしてあるでしょ。