川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                   永遠の寝室



     宇宙暦XX年。
     地球の暦にして2010年。これはアンドロメダ星雲にあるアース星での話。
     不思議なことに、いや、宇宙的見地からすれば、別に不思議でも驚くべき事でも
     ないのだが、この星は地球と全く同じ様相をしている。
     アース星人はこの事実を知っているが、地球人は知らないらしい。
     一日は二十四時間だし、アメリカ・中国・シベリヤ……もちろん日本も、
     あるべき位置に周囲を海に囲まれ存在している。

     だがたった一つだけ大きな違いがあった。 
     アース星人は例外なく百歳まで生きるのだ。事故や自殺でも死なないのだ。
     いや死ねないのだ。
     細胞レベルでの相違なのか、神の意志なのか、現在の科学では解明されていない。
     寿命が百歳と一律に決まっているので、義務教育の制度は少々地球とは異なっている。
     六・三・十制といって、六・三は地球と同じだが、その上に十年間の老人大学が
     義務づけられていた。

     九十歳になると否応なしに、老人大学生となり【来たるべき死について】という、
     一般教養を学習する。
     〔死の概要〕から始まり、〔美しく死する心構え〕・〔死に旅する日のお洒落学〕・
     〔死の日の作法〕などのカリキュラムを学ぶ。
     女性のためには、死する日の化粧法などという講座も設けられている。
     十年というととてつもなく長いようだが、体力、記憶力、理解力、諸々の機能の
     低下により、学習に長期間を必要とするのは仕方がない。

     アース星人にとって、死の日は別名『達成日』と呼ばれていた。
     立派に生きたかどうかの問題点はあるにしても、兎にも角にも百年を生きぬいた、
     目出度い日なのである。地方によっては赤飯を隣り近所に配り、目出度さを祝う所も
     あるようだ。
     しかしなかには極まれではあるが、達成日を迎えられない者もいた。
     長すぎる人生、途中で落伍者が出てくるのは仕方がない。

     そんな人のために『永遠(とわ)の寝室』と呼ばれる特別の措置がとられている。
     もちろん各国共に国営の施設である。
     だが『永遠の寝室』に入るためには命のカウンセラー(審査員と言わず、
     あえてカウンセラーと呼ばれている)による、厳しい審査を受けなければならない。
     これはなかなかの狭き門だった。
     自分の命だからと、自分勝手にサヨナラは出来ないシステムになっていた。

     どこからかハーブの匂いが微かに漂ってくる。
     嶋子はおずおずと審査室のドアーを開けた。長い人生の中で相談に来るのは初めてだった。
     審査室には5人のカウンセラーがおり、それぞれがにこやかな表情で相談者を迎えた。
     男性が三人に女性が二人。

     「どうなさいました?」          
     五十歳代だと思える女性のカウンセラーが、椅子を勧めながら尋ねた。        
     あとの四人も五、六十歳位だろう。彼らはこの星ではエリート中のエリートだ。 
     なぜなら、カワンセラーに選抜されるには頭脳だけでなく、性格や道徳心など諸々に
     渡って、厳重なテストを受けなければならないからだ。
     この仕事は聖職で、絶対に不正は許されないのだ。
     なにより人格者でなければならない。
     その上、心理学者や宗教家としての要素も必要だった。
     オールマイティーでなければならない。
     往々にして相談者達は、自分を必要以上に悲劇のヒロインにしたがる傾向があった。
     彼らの訴えの真実の部分を見抜く、冷静でいて尚且つ優しい眼差しが要求された。

     室内はふかふかと暖かい。
     公共の建物ではあるが、裁判所や病院のような固苦しさや殺風景さは、ここにはない。  
     どうやらハーブの香りは、心を落ち着かせるための配慮らしい。
     椅子もゆったりと座り心地がよい。           
     嶋子は大きく深呼吸をした後で
     「先生、もうわたし生きるのにしんどなってしまいました。
     九十五歳の母親が惚けてしもうて。
     その世話でそれはたいへん。
     私自身の体が神経痛やリュウマチーでええ加減ガタがきてますのに……
     あと五年やから辛抱せえてですか先生。けど五年て長いですわ。
     こうなると、百まで生きなあかんというのも、業なことですな」

     七十三歳の嶋子の相談に、カウンセラー達は揃ってバツの判定を下した。       
     老女は一瞬落胆したような、ほっとしたような複雑な表情を見せたが、
     背を丸め足を引きずりながら、すごすごと帰っていった。

     次の相談は二十代の真面目そうな青年だった。華奢な体付きだが、なかなかの美形だ。 
     彼は東京の国立大学を首席で卒業した。
     しかしいつの頃からか、人生むなしい病に取り憑かれてしまった。
     自分の可能性を、限界を試してみたいと思っても、保障された命での冒険は、
     もはや冒険でもなんでもなかった。 
     生命のはかなさを憂えなくてよい分、心が鈍感でやりきれなかった。
     移りゆく自然や風物にも、来年も再来年もあると心が震えない。
     そんな自分が少しも愛しく感じられなかった。太った豚にはなりたくなかった。

     「怯えのない人生って、かえって僕には不気味です……これが本当の幸せだとは思えない」
     細面の顔を曇らせた。
     五人は彼の訴えを静かに聞いた。そして互いに顔を見合わせ小さく頷きあった。
     そして少し哀しげに、          
     「……分かりました。それでは永遠の寝室でゆっくりお眠りなさい」
     許可が下りることは稀だった。
     寝室の内部の様子は誰も知らない。カウンセラー達さえも。
     彼らはゆっくりと握手を交わした。
     青年は初めて笑顔を見せた。若者らしい爽やかな笑顔だった。


     今日は耕助の百回目の誕生日だ。
     彼は老人大学で学んだとおり、家族、親類、友人達が見守るなか静かにベットに
     横たわった。
     十年間の学習のおかげで、不思議に死への恐怖感はわいてこない。
     死のメカニズム、システム、その瞬間の感覚……
     学びに学んだおかげで、初めて体験する未知への不安感、怯えは影も形もない。

     静かで安らかなものが体中を充たしている。
     〔いかに美しく死すか〕の単元で学んだことは、ここ二、三日、頭の中で繰り返し繰り返し
     復習をした。
     準備は万端整っている。万に一つも見苦しい姿をさらける心配はなかった。
     一番気に入りのグレーのスーツに身を包み、靴はしなやかな茶色のコードバン。
     手には愛用のステッキ。

     いよいよ学習の成果を披露する時が来た。 旅立ちだ。
     耕助は彼を覗き込んでいる人々に
     「有難う、さようなら」と、にっこりほほ笑みながら目を閉じた。
     別れの言葉はできるだけ簡潔にと、教えられていた。
     百年も生きたというのに、長かったような短かったような、なんだか夢を見ていたような
     気がする。
     桜が咲いて、若葉が匂って、毎日毎日雨が降って、入道雲が湧いて、
     赤とんぼが飛び交って、山が赤や黄色に染まって、雪が舞って、
     また桜が咲いて……

     暖かで優しい感覚が耕助を抱きかかえた。懐かしいような甘やかなものが、
     彼を包み込む……
     彼は見事に最後の儀式を達成した。
 
     流れ星が地球の方向に流れた。