川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                  天使に出会った



     「中国に20年以上も通っているけれど、こんな秋晴れは初めてだ」
     私を中国まで連れてきて下さった方が驚いたように、
     11月の雲ひとつない空を見上げておっしゃった。

     上海の魯迅公園は秋のまっさかりだった。
     公園入口には羽根を広げた3羽の孔雀の菊人形が、来園者を迎えてくれる。
     そして園内を取り囲むように、大輪や糸菊・小菊の菊花展。
     清澄な香り。
     いっしゅん私は日本の秋かと錯覚をした。

     私は仲間から少し遅れて魯迅墓の前に立った。
     椅子に腰かけた魯迅像を樹木が取り囲んでいる。
     公園は賑わっているのに、この一角は人影もなくひっそりとしている。
  
     仲間を見失って迷子になっては大変と、私は魯迅墓を後にしようとした。
     誰もいないと思っていたのに、老人と孫らしい幼児が、石の階に腰をかけていた。
     老人は品のよい顔つきだ。
     3歳ぐらいの男の子は手に白いミニカーを持ち、老人の肩や腕に車を走らせていた。
     老人はそんな孫の仕草に目を細めている。
     
     気づかず私も微笑んでいたらしい。
     脆弱な心身で、満足な子育てが出来なかった私は、幼児の頃の息子が不憫でならない。
     そのせいか幼児を見ると、ついつい息子と重ねてしまうのだ。
     ふっくらとした手の感触も、ママと呼ぶ声も、年々鮮明になってくる。
     今の精神状態で、あの頃の息子と係わりたかったと、できもしない事を願う。

     木々の間から鳥のさえずりが聞こえる。
     
     男の子は右手に持っていた白いミニカーを老人に手渡し、
     少しはにかんだように私を見た。

     そして、
     指を開いたままの右手を口に当て、投げキスをしてくれた。
     こんなに清らかな投げキスを私は知らない。 
    
     アメリカやヨーロッパ、おしゃまな日本の子供のキスでなく、
     大人しそうな中国の幼児のキス。
     この時の私の気持ちといったら……愛しさで抱きしめたいくらいだった。
     この場を離れたくなかった。
     中国語が話せたらと、切実に思った。

     とっさに思い浮かぶ中国語は、これしかなかった。
     「再見……」

     私のさよならに、幼児も老人も「再見」と言った。