川上恵(沙羅けい)の芸術村
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           たちばな通り商店街


     “たちばな通り”という商店街があった。
     へんぴな村で唯一、店屋が並んでいる通りである。ボンネット型のバス一台が、かろうじて
     通れる道幅だが、一応は本通りだ。
     荒物や、雑貨や、薬局、クリーニング店、仏壇や、八百屋……、
     どの店もしもた屋風の造りで、低い軒の内で商っている。

     私はことのほか、畳屋の店先が好きだった。
     大将の源三さんは薄暗い土間で、いつも俯いて仕事をしていた。天井からは、裸電球が一つ
     ぶら下がっているだけだ。
     頭に鉢巻をしているが、まいど同じ柄の日本手拭だった。
     夏、冬を通して着けている、ラクダ色の毛糸の腹巻には、煙草とマッチが入っている。

     源三さんは、無口だが腕の良い職人だ。
     キリの先ほどもある縫い針に、太い糸を通し、一針ずつ畳の縁を縫っていく。
     一針さしては針を引き抜き、右手の肘で力一杯、糸を引っぱり上げる。
     細く小柄な体のどこに、こんな力が隠されているのかと不思議な気がした。
     右腕は左腕に比べ、ずいぶん太い。
     その手に山姥(やまんば)が持つような、厚い刃の包丁を握り、ぐっと息を詰める。
     私の一番すきな瞬間だ。

     そして一気に、畳のヘリを切り落とす。

     “サクッ”と小気味のよい音がして、暗い土間いっぱいに、い草の清々しい匂いが広がった。
     清冽な香りだ。
     小学生の私は、鼻孔を大きく膨らませ、緑色の匂いを思いっきり吸い込むのだった。

     新素材の畳が出回っても、藁を使っていない軽い畳なんてと、商わない。
     相変わらず低い軒の下で、藁葛やい草に埋もれて、黙々と仕事をしていた。


     時代の流れか、古本屋がなくなり、下駄屋がなくなり、荒物やが姿を消し、最後まで
     頑張っていた源三さんも店を閉めた。
     たちばな通りに商店は一軒もなくなった。
     そういえば、私は一度も源三さんの声を聞いたことがなかった。