川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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           水辺の光景
  小さな男友達


     歩いているのに一向に血圧は下がらない。悪女の深情けさながら、よほど私が気にいった
     のか、とり憑いてなかなか離れようとはしない。
     それとも激情家は、血まで熱いのだろうか。

     歩くことに飽きると、私は水辺に腰をおろし、何を考えるともなく川面を眺める。
     水面に映った雲が下流に向かって流れてゆく。
     知らない人が見たら、きっと私は人生に疲れた人のように見えているだろう。
     今の時代、何もせずぼんやりしているのは、変な人なのだ。危ない人なのだ。
     人は何もしないとき、その理由が必要なのだ。ぼんやり川面を眺める口実が。

     ぽつりぽつりと、釣り人達が釣り糸を垂れている。釣れているのか、いないのか……。

     そうだ、釣りをしよう!
     釣り糸を垂れていれば、ぼんやりと水辺に座り続けても、人は奇異には思わないだろう。
     そう思いつくと、なんだか愉快になってきた。
     初体験だ!
                    
     大和川に、お洒落な釣り人はいない。近所のオジサンばかりだ。
     海釣りや渓流釣りと違い、大和川での釣りは安上がりに違いない。
     自転車の荷台に小さな釣具をくくりつけ、彼らはどこからともなくやって来る。
     そして簡単に店開きをし、お尻のはみ出しそうな小さな椅子にこしかけ、釣り糸を垂れる。
     そして化石になったように、みじんとも動かない。
     起きているのか眠っているのか、ぼんやりしているのか、水面に神経を張り詰めているの
     か、後ろ姿から、その内面はみえない。

     さっそく私は近くのコーナンで、安物の釣具一式を買った。 
     
     大和川はナンバー1の川である。水質汚染度が全国ワーストワンなのだ。
     子供のころ、パンツ1枚で泳いだことや、母達が洗濯をしていたことなど、遠い昔の話だ。
     それにしても、ここで釣った魚は食べられるのだろうか。

     何事によらず初体験は、心ときめくものだ。
     私はうどんのような餌をつけ、竿を握った。
     中年オバサンの釣り人は珍しいのか、小学生達が寄ってきて、私の手元を覗き込む。
     ウキの下あたりに魚が泳いでいるのが見える。
     意気込む私に、一人の少年が間髪をいれずに言った。
     「オバちゃん、見える魚はつれへんで」
     「へえ、そうなん?」
     「そんなんも知らんと、オバちゃん釣りしてんの? ビギナーやな。いまから僕、塾へ
     行くけど、明日またここで会おな。そのとき、つりかた教えたるから」

     次の日、約束どおり少年はやって来た。
     そして私に錘(おもり)やウキ、糸の流し方、昼間は釣れないことなど、
     初心者向けのレクチャーをしてくれた。
     「だいたい、こんなもんや。僕、中学受験やから、もうここへはこられへん。オバちゃん
     頑張りや」
     「うん、僕もね」

     少年と幼い日の息子がオーバーラップし、不覚にも鼻の奥がキュンとする。
     
     “ボシャン”、大きな音がした。
     30センチ以上もありそうなフナだか鯉が、水面に体をたたきつけた。
     波紋が幾重にも広がった。
     見える魚はつれない……だったよね。

     なぜか小さな男の子にはモテる私でした。