川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
ホーム  エッセー  旅  たわごと  出版紹介 



              
                  お正月



     出来もしない計画を立てるのが好きだ。性懲りもなくである。
     毎年、今年が新年に変わる瞬間に、除夜の鐘を聞きながら心に誓う。
     
     今年こそ規則正しい生活を!
     今年こそ人には優しく勤勉に!
     今年こそ健康になるよう努力しよう!
     今年こそ家事をきちんとこなそう!
     今年こそストイックに生きよう!
     今年こそ・今年こそ……。
 
     だがその崇高な決意は、3日と、もった例はない。
     だがどれもこれも、努力は嫌いな私の良心である。

     我が家には幾種類もの健康治療器がある。
     マッサージチェアーはいうまでもなく、酸素発生器・喉の蒸気発生器・足の温浴器・
     低周波治療器に至っては、発売当初にウン十万円ものお金をかけた。
     肩腰用マッサージャー・お灸器・……
     それはまるで流行らない田舎の医院。
     器具を買うと、それだけで、健康になった気がするのである。
     とはいえ、使うのは稀である。足の温浴器などは、嵩ばるのでいまだ箱に入ったままだ。

     掃除道具も大好きである。掃除ではなく道具がである。
     健康器具と同様に、それがあれば家が綺麗になる錯覚に陥るのである。
     掃除機は当たり前として、蒸気が廊下や絨毯を綺麗にしてくれるという掃除機、持ち運びの
     軽い蓄電式の掃除機、クイックルワイパー、コロコロローラー、幾種類ものモップ……、
     時代遅れのハタキや箒も揃っている。
     だが現実は、掃除道具が埃をかぶっているという不合理。

     10年ほど前になるだろうか。
     ストイックに生きたいと切に願った年があった。
     あるお寺の高僧に、「弟子にしていただけますか」と頼んだ事がある。
     住職は気持が変わらなければ、その時は話を聞きましょうとおっしゃった。
     住職は一時の気の迷いと思われたのかもしれないが、私は本気だった。

     だがその数日後、3か月の絶対安静をしいられる大怪我をした。
     少し不自由が残った。
     これで出家したも同然だと私は思った。
          
     
     私は今年も崇高な計画をたてた。
     私にとっての飽くことなき正月行事である。良心である。