川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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 河内再発見

                        お染・久松  

      

           野崎まい〜り〜は  屋形ぶ〜ね〜で まい〜ろ
             どこを向いても 菜の花ざ〜か〜り ……


     スクリーンの中で、エノケン扮する久松と、笠置シズコのお染が、面白おかしく身分違いの恋に
     泣いていた。私は、主人公が美男美女でない映画というものを、初めて見た。
     そして、映画少女は思ったのである。
     近所の小父さんや小母さんのような顔をした人が主人公では、映画はつまらないなあと。
     少しも胸がときめかない。
     自分と、主人公を重ねあわせる気にならなかった。
     そして後年みたお染役は、美空ひばりだった。ちなみに久松は、里見浩太郎。

     子供の頃の印象というのは恐ろしいもので、どうやらお染は、憂いを含んだ楚々とした美女では
     ないらしいとの思いが、刷り込まれた。

     さて、舞台となる野崎観音(慈眼寺)は、北河内の大東市にある。
     背後の飯盛山を借景に、曹洞宗らしく静謐な空気に包まれている。

     縁起によれば、天平勝宝年間(749〜757)に来朝した、インド僧・バラモン僧正が、野崎の地は
     釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ろくやおん)に、よく似ていると言い、それを聞いた行基が
     観音像を刻み、安置したのが始まりとされている。
     一時兵火などで寺は衰退するが、元禄の頃、野崎参りが盛んとなり、現在に至っている。

     お染久松の物語は、大坂東掘瓦屋橋にある油屋の一人娘お染が、店の丁稚久松と恋に落ち、
     心中をとげるという、実際の事件をモデルに、人形浄瑠璃や歌舞伎にしたてられた。
     なかでも近松半二の「新版歌祭文(うたさいもん)・野崎村の段」は、おなじみだ。

     奉公先の油屋の娘、お染と恋仲になった久松は、家に戻され許婚のお光と祝言を上げる羽目となる。
     そこへ野崎参りと偽り、お染が久松の住む野崎村を訪ねる。
     だが、お光の存在を知り、
     「二人はずっと一緒やというたやない。あれは嘘やったの。嘘でないのなら、
     一緒に死んでちょうだい、久松!」
     と、死をせまるのである。それを盗み聞くお光。
     一人の若者を巡って、情熱的なお嬢様と内気な田舎娘との恋模様。

     その夜、予定通り祝言は行われる。
     白無垢すがたのお光の綿帽子をとると、そこには髪をおろした哀しい姿があった。
     自分を殺し、二人に幸せを譲る、お光の究極の愛の形である。
     物語の最後は、お染と久松は籠と舟、別々の乗り物で油屋へと戻る場面で終わる。

     人様を泣かせて、はたして幸せはあるのだろうか。
     私がお染なら、一緒になったとしても罪悪感にさいなまれ、針の筵の日々を過ごすだろう。
     悩み苦しみ、お光のように剃髪しているかもしれない。
     お芝居とはいえ、根っからのお嬢様育ちは、どこまでも無邪気なのである。
     近松半二描くところのお染久松物語は、実はお光が主人公ではないかと、
     私などは、お光に感情移入をしてしまう。
     お染は恋をし、お光は久松を愛したのだ。
     描かれていない、物語の結末が気になって仕方がない。

     南河内の羽曳野市に野中寺(やちゅうじ)という名刹がある。
     聖徳太子の創建で、弥勒菩薩半跏思惟像(はんかしいぞう)は、古代史ファンの間では、
     天使あるいは妖精的存在である。掌に乗りそうな小さな思惟像は、可憐にして妙なる雰囲気を
     漂わせる。

     そんな境内の一角に、お染久松の墓がある。
     お染の父親の菩提寺が野中寺であった関係だ。
     境内には樹齢四百数十年の山茶花が植わっている。
     初冬、何千何万と、鈴なりに白い花を咲かせる様は圧巻だ。
     豪商であった父親の里、八尾の地から移植したものだという。
     父親の愛が、毎年、無数の花を咲かせるのだ。

     ――そうか、お染の出生は中河内の八尾だったのか――
     お染役が、笠置シズコや美空ひばりだったことが、納得できた。
     勝手なもので、河内顔のお染に少し親近感が湧いてきた。

     年月を経たこの山茶花、いつのまにか幹と幹がくっつき、連理の枝となった。
     まさに二人の情念のなせる技である。「縁結び」の山茶花と呼ばれているらしいが、 
     死んで一緒になってもなあ、と私は天然記念物の巨樹を前に首を傾げている。

     古色蒼然とした墓碑の表面には、
        宗味信武士    妙法信女
     裏面には
        享保七年十月七日
        俗名    お染  久松
        大坂東掘 天王寺屋権右衛門
     と刻まれている。

     墓前には、誰が携えたのか一対の花が供えられていた。
     曇り空の下に、供花はほんの僅か華やぎを添えていた。

     恋は狂おしい熱病である。愛しく哀しい激情。
     私はもう、この熱病に罹ることはないのだろうか……。