川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                    お迎え


     最近「お迎え現象」なるものが、取りざたされている。
     医師たちもこの現象を、真剣に考え出したという。
     何をいまさら、という感じだ。

     私は子供のころから、その類の話を聞かされてきた。
     テレビでは4割の人が、お迎えを経験していると言っていたが、私の知っている限りでは
     100パーセントにお迎えが来た。
     あの世へ旅立つ人すべてに、公平にである。

     だが稀に、お迎えを拒否する人もいる。
     祖父母や父、伯父伯母たちは素直にお迎えに従ったが、生きること大好き人間の母は
     違った。

     その年の8月、この夏を母は越せるだろうかと、私たち誰もが危ぶんだ。
     医者もお年ですからと、婉曲にそれを告げていた。
     それほどに母の体は弱っていた。

     ある朝、
     「お母ちゃんが枕元に座って、じっと私をみてるねん。気色悪かったわ」と、言った。
     「久しぶりに会えて、嬉しかったんと違うの?」
     「いいや、気色悪かった!」

     次は1週間後に、掃除好きだった父親が箒を手に、
     「恵美子、いつまで寝てるねん。はよ起きて、こっちへ来い!」
     「いやや、まだ寝てたい」
     その後も兄弟が出てきたり、あげくには女学校時代の友達も来たという。

     心臓や腎臓に重い病を持っていて、足腰も悪く、1人で外出もままならない母だったが、
     何よりこの世が大好きだった。そんなに取り立てて楽しい日々だとも思えないのに、
     病気なのに、それでも、生きていることが楽しくて仕方がない様子だった。

     だが毎夜のように現れる、あの世の住人達には閉口していた。

     「今夜また誰かが迎えに来たら、まだそっちへ行きとうないから、もう来んといて、
     って断りや」
     「うん、そうするわ」
     母は6人兄弟の末っ子だ。だが両親はもちろん、兄弟もすべて亡くなっている。
     「お母ちゃんひとり、この世においとくの、心配やねんやろな」
     「そんな心配してもらわんでも、楽しいにやってるのに」

     しばらくして母は、三途の川を見たと、この時ばかりは興奮気味に話した。
     30センチ幅ほどの小川が流れていた。
     水は水晶のように透きとおっていて、底は砂金がまかれたようにキラキラと輝いている。
     綺麗やなあと見とれていたら、
     向こう岸には着物姿の両親や兄や姉達がいて、「えみこさーん、えみこさーん」と、
     柳の枝のように手を揺らしながら手招きをするそうだ。

     長兄は「そんな細い川、簡単に飛びこせるやろ。はよ、おいで。飛び越えといで」
     父親も「はよ来い」と、大声で叫んだ。
     すると母親が怖い顔で、
     「来たらあかん。その川は底なしの川や! はまったら最期、助からへんで!」
     はよ帰り、はよ帰り……、といい続けたそうだ。
     「うん、わかった。そんなら帰るわ」
     母はもと来た道を戻ってきたという。
     川の畔には、もう誰もいなかった。    

     1年間も続いたお迎えは、それ以来ぴたりとなくなった。

     「なんぼ呼んでもけえへんから、諦めたんやろね」
     「これで当分、長生きできそうや」 

     そして母は89歳までを生きた。
     お迎えを拒否して、4年が経っていた。
     本当の話である。
     お迎えを断れるって、ご存知でしたか?

     でも母は迎えもなしに、迷子にならずに両親の元にいけたのか、少し心配です。