川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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オクラの花


     ある人の話によれば、人は年齢と共に興味の対象が変わってくるそうである。
     最初は人間で、次は動物。そして植物、つづいて盆栽。最後に行き着く先は石だという。

     「貴女は今どのあたりかな。僕などはまだ人間が大好きです。
     惚れたはれたの世界にいます」
     私は少し考え、
     「私ですか……私はもう動物も卒業してしまって、いまや植物のランクにいるようです」
     「それはいけません。いや、おおいにいけません」

     石の博物館に係わっておられる男性が、痛ましげに半面優越感を
     滲ませながら、そうおっしゃった。確か70を優に過ぎておられた。

     本当に、本当にある日突然、植物に目覚めてしまった。
     さっそく、近所に5坪ほどの農園を借りて、日焼けもなんのその、せっせと野菜作りを始めた。
     世間では野菜の高騰が叫ばれていた昨年の夏も、私の畑ではキュウリ・ナス・トマト・ピーマン・
     ブロッコリーなど大豊作であった。

     結実し生まれたばかりのキュウリや豌豆の、なんと清らで健気なこと。
     小指の先ほどの大きさにも係わらず、キュウリはすでにキュウリの形をし、イボイボを有し、
     豌豆は一人前に小さな三日月の形をしている。
     自然の営みの神々しさ、神秘に私は見とれる。

     「虫に喰われんと、大きなりや」
     独り言に気づき、私にこんな母性があったのかと驚き、なんだか自分が愛おしくなる。

     ある朝のことだ。
     子供の手の平くらいの可憐な黄色い花が、ふうわりと咲いていた。
     あるかなしかの風に揺れている。オクラの花だ。
     色は違うが芙蓉によく似ている。そういえばハイビスカスや槿(むくげ)の花ともそっくりだ。
     夕方になると萎んでしまう、儚さまでもが同じだった。
     それは逞しく繁る夏野菜のなかにあって、両手で包み込み、守ってやりたくなる風情、
     弱弱しさである。
     帰って植物図鑑で調べてみると、それもそのはず、すべて「アオイ科」であった。

     来る日も来る日もオクラは、ふうわりと花を咲かせ、実をつけた。
     だが2、3日、収穫するのを忘れていると、実は子牛の角ほどに育ち、
     竹のように硬くなってしまうのだった。
     押しの形をしたオクラは別名「陸蓮根(おかれんこん)」と言うらしい。
     なるほど蓮根と似ていなくもない。

     その昔、河内の地で咲いていた綿も「アオイ科」である。
     オクラと同じ黄色い花。
     河内木綿という名の通り、河内は木綿の産地であった。
     江戸の頃から明治の中期にかけて、田畑はもちろん、古墳の墳丘に至るまで、一面綿畑が
     広がっていたそうだ。実がはじける頃は白い綿が顔を覗かせ、雪が積もったようで、
     さぞ美しい光景だったろう。

     松原で生産された三宅木綿、八尾での山根木綿、久宝寺木綿、これらを総称して河内木綿と
     よんでいる。私が生まれた三宅の三宅縞は、一世をふうびしていたという。
     鮮やかに彩色された武将絵の節句の幟。味わいのある藍染の油単(ゆたん)。
     鳳凰や熨斗(のし)文様の布団地、縞模様の長着や法被……
     河内木綿は素朴にしてモダン、斬新である。
     だが次第に外国から安い綿糸が輸入されるようになり、生産技術も手織りから機会織りへと変化し、
     明治30年代には、産業としての河内木綿は終りを告げ、やがて河内の地から姿を消すんである。


     母の実家は呉服屋であった。
     店の奥には絹物の反物がうずたかく積まれていた。
     祖母は客の好みにあわせ反物を選び、ころころと畳に転がし広げて見せる。
     それも一気に広げて見せたり、じらすように絵柄を覗かせてみたりと、商売上手だった。
     光沢を帯びた藤色や臙脂、草色、浅葱色の反物で、店先は一挙に華やぐのだった。
     「やっぱりやわらかもんは、よろしいな。はんなりしてて」
     そう言いながら、また別の反物を広げてみせる。

     一方、出入り口に近い台の上には、木綿の布や絣の作業着が無造作に置かれていた。
     祖母は三宅縞の存在を知っていたにも係わらず、絹物以外には価値を認めていなかった。

     最近私は、祖母や母の着物を洋服に仕立て直して着ることが多い。 
     きっと祖母はあの世で、
     「呉服屋の孫が着物を切り刻むやなんて、何という罰当たりなことを」
     と、嘆いていることだろう。
     それに、いまや国府いまや古布の世界では、絹より絣や木綿の方が高価だと知ったなら、
     まして私が、色あせた木綿の大漁旗で作った服を着ていると知ったなら、
     驚愕し涙するにちがいない。

     だが最近の私は、なぜか絣や木綿に惹かれる。
     河内女のDNA? それとも土への記憶?


     畑では大根が白い肌を艶やかに光らせ、行儀よく一列に並んでいる。
     来年は畝の隅にでも、綿の種を植えてみようかしらん。