川上恵(沙羅けい)の芸術村
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   河内再発見

                          
                          おかいさん

    友人の家の朝食は、三六五日「おかいさん」だという。
    手間のかかる粥を毎朝炊くとは、全く主婦の鑑である。

       私などはパンにコーヒー、ひと欠けらのチーズとヨーグルト。
    店屋で買ってきたものを、そのまま並べているという手抜きである。
    目玉焼きすら作らない。

      河内の人たちは粥を「おかいさん」と呼ぶ。
    丁寧・親愛の意味を込めた接頭語の「お」と、敬称を示す「さん」の接尾語の二つを、
    粥につけるのである。なんという贅沢、愛されよう。
    粥の他には、お豆さん、お芋さん、おいなりさん。飴ちゃんというのもある。

      余談だが、大人を充分通り越した中高年のオバちゃん達が、
    可愛い小袋をおもむろにあけ、「飴ちゃん食べる?」と、回りの人たちに
    配り回るのは、馴染みの光景だ。
    貰った人は、「私も持ってんねん。この飴も美味しいよ」と、お返しをするものだから、
    女性達の袋はいつも数種類の飴玉で膨らんでいる。

      普段着の食べ物に愛着と敬意を表して「さん」や「お」をつけるなど、
    なんとも粋なことではないか。間違っても、おすき焼きやステーキさんとは呼ばない。
    日常の食べ物に操を立てるのだ。

      私は祖母の炊く「おかいさん」が大好きだった。
    大きな鉄の釜に米とたっぷりの水を入れ、茶葉を入れた木綿の袋、
    ちゃん
(ぷくろ)を浮かせ竈(へっつい)さんで炊くのだ
   
河内の茶粥だ。
      ちゃん袋に入れる茶葉は煎茶やほうじ茶、番茶だが、経済的な粉茶を使うのが知恵だ。

      祖母は粥が炊き上がるまで、木杓子を手に、竃さんの前から離れない。
    夏の暑い盛りにも、汗をふきふき火の番をしていた。

      薪で炊いた粥はとろりと美味しい。

      漬物はなんといっても古漬けの沢庵か、古漬けの茄子や胡瓜。
    それを細かく刻み生姜をすりおろし、ぱらぱらと胡麻をふる。
    何杯もお代わりをしたくなる、絶妙の取り合わせ。

      そんな粥の歴史は古く、「僧祇律」(そうぎりつ)という仏典に記されているそうだ。
      道元禅師が赴粥飯法(ふしゅくはんぼう)という書物の中で、粥有十利(しゅうゆうじり)として
      紹介している。
      1、血色を良くする  2、力を得る  3、寿命を延ばす  4、苦痛がない
      5、言葉がはっきりする  6、胸のつかえが治まる  7、風邪がなおる  8、空腹が癒える
      9、喉のかわきが消える  10、便通がよくなる

      なんとも有り難い食べ物である。案外河内の人たちはこの事実を知っていて、
   「お」や「さん」を付けたのかもしれない。
    だが今や、河内粥を炊く家庭は稀有である。

      粥といえば忘れられない思い出がある。

      甥が小学校の頃だ。家庭科のテストで粥の炊き方という問題が出たという。
    甥は百点まちがいないと自信たっぷりに帰ってきた。彼にとって百点は夢の点数だ。

      ところが返された答案には×がついていた。甥の答えはこうだった。
      ――お湯を沸騰させ、そこに残り御飯をいれて、しゃもじでかきまわす――

      納得のいかない甥に私はこう言った。
     「伯母ちゃんが先生やったら、花丸をつけるのに、応用の効かん先生やね。
    ご飯の残った時は“入れおかい”にするのにね。だからこの答えは間違ってないよ」

     甥は嬉しそうな顔をしたが、それも一瞬のことで半べその顔になった。

      先日、主婦の鑑である友人宅で、おかいさんを御馳走になった。
      しこたまお酒をいただいた後の粥である。彼女は卓上にカセットコンロを用意し、
    厚手の片手鍋を置いた。お酒を飲んでいる間に米を研いでおく手際のよさだ。


      一合の米に水は鍋の3分の1ほど。緑茶を入れたティーパックが浮かんでいる。
    彼女は蓋をせずにガスに火をつけた。たしか中火。

      このまま放っておいたら、さらりとした美味しいおかいさんが出来るという。
     「噴いたらどうするの?」
     「それ噴かへんのよ。コツは鍋の中をかき混ぜないこと」

     鍋の中で粥は静かに煮えている。私はじっと鍋の中を見続けている。
    お茶の香りとお米の甘い匂いがほどよく混ざり合い、湯気が揺らめく。
    酔いのまわった心身になんという魅惑的な匂い。約二十分で炊き上がった。

      生粋の河内人間である彼女は、必須アイテムの三色の霰をパラパラと振りかけた。
    他に、はったい粉・お餅が河内粥の友である。

   「これに醤油を少し垂らすと、おいしいねんよ」

      粥は時間がかかるものと思い込んでいた私には、目から鱗の美味しい一夜であった。

      そういえば半夏生の頃に食べた「赤猫」、あれも食べてみたいなあ。
    黄な粉を
まぶしたお餅を猫に例えるなんぞ、河内はやっぱり面白い。