川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                  野迫川村レポート


     ある日突然、野迫川村が有名になった。
     良いことで有名になるのならあり難いのだが、台風12号による「せきとめ湖」で、その名を
     全国に知られることとなった。
     スーパーもコンビニもない、人口500人程の過疎の村、というより秘境である。
     あるものといえば、有り余るほどの自然と、清流、山山山……、そして零れそうな星の輝き。

     野迫川村の弓手原に小屋を置いて、もう20年近くになるだろうか。
     趣もなにもない、無機質な20畳ほどの細長い箱である。
     辺りには人家もなく、ポツネンとした白っぽい小屋だ。もちろんワンルームである。
     小屋の横を弓手川が、邪魔にならない程度の瀬音を立てながら流れている。
     
     高野龍神スカイラインの紅葉があまりに見事で、衝動買いをしてしまったのだ。

     私はこの小屋の存在を他人に話したことはなかった。
     出来の悪い子供をひた隠すように、長年隠してきた。
     ところがひょんなことで、友人達の知るところとなった。


     
     8月30日の夕刻から降り続いた未曾有の大雨は、和歌山・奈良・三重県に、大災害をもたらし、
     連日、その惨状が報じられた。

     「山小屋は大丈夫? なんなら復旧の手伝いにいこうか」と、友人達が心配をしてくれる。
     報道によれば、弓手原の集落も大きな被害をこうむったようだ。
     いくら放りっぱなしにしているとはいえ、少しは気になり、その親切に甘えることにした。
     このところずっと晴天つづきで、地盤も緩んでいる心配はなかった。。
     
     頑丈なスコップや草刈機など、友人達は諸々の機具を揃えてくれ、当日となった。
     作業の後にと、5段のお重を用意してくれた人もいる。
     なのに……、10月14日は雨。
     だが、「せめて小屋の様子だけでも見ておこう」と、5人は車に乗り込んだ。
     正確には乗り込ませていただいた。
     
     野迫川村は奈良県の最南端に位置し、弓手原は和歌山県との県境にある。
     竜神スカイラインを少しだけ走り、あとは迂回路を下りながら、小屋へ向かう。
     小規模な山崩れを、何箇所も目にする。
     標高は1000メートル、眼下はV字型の深い谷だ。
     霧が山肌を昇ってゆく。
     ハゼだろうか、緑の中に真っ赤な紅葉が美しい。

     とちゅう、報道されていない「せきとめ湖」に出くわした。
     やや小型だが、一山丸ごと崩落し樹木はなぎ倒され、蒼色の湖を作っていた。
     木肌も無残な無数の大木が浮かんでいる。
     テレビや新聞の映像からは伝わらない、むごさ、恐ろしさである。
     私たちは口数少なく小屋に向かった。

     「あった!」
     「よう無事やったねえ」
     細長い白色の箱は、雨に煙った木立の中にひっそりと健在であった。
     建物のドアを明けた途端、忘れていた小屋の素っ気ない匂いが私を迎えた。
     雨はやむ気配がない。
     私たちはなす術もなく、雨音を聞きながら、お重の御馳走を食べた。
    
     「僕、この建物気に入りました。暑さ寒さにめげず、じっと主を待ち続けていた小屋の気分を
     察すると、なんだか今日はいい事をした気分になりました」
     大人の配慮だなと嬉しくなる。
     こういう瞬間だ。年をとるのもそう悪くはないと感じるのは。

     それにしても今まで冷たくされ続け、優しさに慣れていない小屋は、戸惑っているに違いない。
     戸惑いつつも、この人達が来てくれる間は、どんな風雪にも耐えてみせます、と
     喜びを噛み締めただろう。
     
     雨はしのつく、どしゃぶりになった。
     感傷にふける間もなく、私たちは帰り支度を始めた。
     私達を癒してくれるのも自然なら、痛めつけるのも自然だと、当たり前の事を、
     さも真新しいことのように感じた1日であった。

                                                
    

                                                        23・10・14