川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                  涙形のペンダント



     ペンダントを失くした。涙の滴の形をした銀色のペンダントである。
     海辺のリゾートマンションでの出来事だ。

     風呂場の脱衣所でペンダントを外し、緑色の篭に入れた。
     温泉はとろりとまろやかな湯で、日頃の疲れが流れていくような心地よさ。
     風呂上りの私はペンダントを着けるのを忘れ、その晩を過ごした。
     大事なペンダントなのに……
     次の日も、ペンダントをしていないことに気づかなかった。

     ほんとうに大事なペンダントなのに。

     家に帰って母の遺影の前に座り、ハッと気づき胸元に手をやった。
     胸元はスカスカと心許なかった。動悸が早くなった。
     慌ててリゾートマンションに、落し物の問い合わせをしたが、ペンダントの届出はない
     との返事だった。
     大事なものだからとだけ告げ、電話を切った。
     自分の不注意が許せなかった。

     母は海が大好きだった。
     というより海を眺めながら、コーヒーを飲むのが好きだった。
     母はあのリゾートマンションの喫茶室で、心ゆくまで海を眺めコーヒーを飲んでいる
     のだと、持っていきようのない気持を、無理に納得させた。

     いい人に拾われていたらいいのに……
     だが意地悪な私の心は、 
     『いい人なら、すぐに落し物だと受け付けに届けてくれるはずでしょ』
     と、追い討ちをかけ、悲しませるような事を言う。

     
     母の遺骨が入ったペンダントである。
     もし拾った人がその事実を知ったなら、気味悪さに腰をぬかすだろう。
     万が一、出来心でそれを首に着けたとしたら……
     たとえ一時でも、見知らぬ人の骨を身につけるのだ。
     ああ恐ろしい!
     それを思うと私はその人が少し気の毒になり、可笑しくなって少し笑った。
     自分の不注意を棚に上げてである。

     数日後、海辺のマンションから、ペンダントが届けられていますと、電話が入った。
     
   

     母は充分、海を堪能したのだろうか。
     それとも気の小さい、一人で旅行もしたことのない母のことだ。
     夜中になると、ペンダントをつけた女性の耳元で、
     「あんたは誰? もう帰りたいよう、帰りたいよう。めえちゃんの所に帰りたいよう」
     と恨めしげな声をだしたのかもしれない。

     注意深く見ると、涙形のペンダントの底には、遺骨を納める小さな穴がある。
     その穴をネジでふさぎ留めるようになっている。
     私はペンダントを撫でながら、
     「お帰り、寄り道をしてきたんやね。じゅうぶん海を楽しんだ?」
     ペンダントの母は、とうぶん海は結構と答えた。