川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                   水辺の光景    緑のじゅうたん


      大和川の土手に春が来た。
      土筆が顔を出し、スズメノエンドウが紫色の可憐な花をつけ、蓬がふかふかと
      土手ををおおっている。
      まるで緑のじゅうたん。
      
      感心に、今日も私は歩いている。(もっとも気が向いた時だけだが)
      だが、残念ながら血圧も体重にも、あまり変化は見られない。
      ちなみに私は157センチで、体重は四捨五入すると50キロ。
      白状すると捨の50キロ。

      少しずつ顔見知りが増えていく。
      一人でもくもくと歩く人、夫婦で歩く人、二、三人つれだって歩く人、犬と歩く人……。
      だが私のように、道草をくいながら歩く人は少ない。
      後ろから吐く息も荒く、ジョギングをする人が私を追い越してゆく。
      汗でシャツが背中にはりついている。
      苦しげに眉根をよせて、それでも何かに急き立てられるように走って行った。
      苦行か荒行をしている、インドのヨガ僧のようだ。
      「なにもそこまで、せんでもええのに。ちょっと休憩したら。川面に光がキラキラと
      綺麗なのに」
      思わず声をかけそうになる。

      勤勉な日本人という形容は、間違っていないなあと、私は痛感するのだ。
      
      散歩コースから4、5キロ下流に、私の生れた町はある。
      この流れは、いま住んでいる場所から、生れた場所へと繋がっているのだと、
      妙に安堵する。
      何歳になっても生れた土地には想いがあって、この土手をまっすぐ行けば実家だと、
      子供に戻る瞬間が何度もある。
      母は元気だろうかと、感傷にしたりつつ、私は土手を下った。
      
      蓬のひとりじめだ。
      葉の裏側は薄緑で、やわらかなビロードのようだ。
      子供のころ食べた蓬の草もちを思い出しながら、私は蓬をつんだ。
      摘んでどうするわけでもないが、小さなビニール袋はすぐにいっぱいになった。
      鼻先に春の香りが一気におしよせ、指先は緑色にそまった。

      子供のころは、蓬と芹の見分けがつかなかったのに、
      椿と山茶花も、あやしかった、アヤメとショウブは、もっと怪しかったのに、

      いまの私は、それらを間違わずに見分けるほどに、歳を重ねた。
      
      白鷺がギャーッと、その美しい姿に不釣合いな声をたて、飛び去った。