川上恵(沙羅けい)の芸術村

 
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河内再発見  




                   恋の辻占   

   おひつじ座のO型、水星人、亥どしで八白土星。私の星である。
   その種の本によると、大雑把で猪突猛進、男運が悪く親分肌。私の性格を考えるとき、
   当たっていなくはないと思う。要するに可愛くない女なのだ。

   東大阪市の瓢箪山町には、豊川・伏見と並び、日本三大稲荷の一つである瓢箪山稲荷が
   鎮座する。由緒正しき辻占総本社である。
   近鉄奈良線の瓢箪山駅の南側の商店街を少し歩くと、東側に石の鳥居があり、その向こうに
   赤い鳥居が見える。
   瓢箪山の名の由来は、神社の建つ小丘は瓢箪山古墳と呼ばれる双円墳でその形が瓢箪に
   見えるという説と、豊臣秀吉が大阪城築城にあたり、鎮護神として伏見桃山城から
   『ふくべ稲荷』を勧請したことによるとの二説がある。ふくべとは瓢箪のことである。

   辻占は古くからあったようで、
     “言霊の八十のちまたに夕占問う 占まさに告る 妹は相ひ寄らむ”と、
   万葉集にも読まれている。夕占は大魔ヶ刻に行われる辻占である。
   瓢箪山稲荷の辻占には独特の作法がある。
   まず神前で願い事を祈願し、おみくじを引いてその番号を覚える。
   そして占場へ行き気を鎮め、通行人の姿態、年齢・持ち物・乗り物・連れのあるなし等を
   観察する。
   そして引いたおみくじの数字と照らし合わせ、例えば二番のくじを引いた人は、
   二番目に出会った人を視て、社務所でその次第を話すのである。
   すると数百年来宮司家に伝わる社伝により、ご神託が下るという次第である。
   この辻占は大いに繁盛したようで、
          淡路島かよふ千鳥の河内ひょうたん山  恋の辻占

   と全国津々浦々まで知れわたったという。 
   いまも“やきぬき”や“あぶりだし”という珍しい読辻占が売られている。
   この辺りから石切にかけては占いのメッカだ。生駒山から忍びやかに立ち昇る霊気が、
   山肌を伝い降り山裾一帯に漂う。

   そういえば恋占いをしなくなって久しい。
   お御籤を引いて最初にどこを見るか、若い頃は、いやいや十年くらい前までは恋愛運だった
   ところが気がつけば、一番先に見るのは健康運に変わっている。
   恋愛運も仕事運も出産も転居も待ち人も、みんな私には縁のないものになってしまった。
   増えたものは失せ物だけだ。寂しい限りである。
   生年月日で運勢を占ってもらうとき、私はいつも迷う。
   戸籍では昭和22年3月25日生まれ。だが本当に生まれたのは22年の4月5日なのだ。
 
   昭和21年、母と母の実姉と義姉の3人が揃いもそろって身篭った。
   お腹が大きくなるにつれて、心配性の祖父は考えた。
   3人が同じ学年になると、きっと揉めるに違いない。そこで1番早い4月生まれの私を、
   3月生まれに繰り上げ、学年を1学年早めたのである。
   昔はそういうからくりが許されたのだ。融通の利く世の中であった。
   結果的には祖父の判断は正しかった。22年に生まれた3人はすべて女の子であった。
   祖父の英断がなかったら、さぞや母親達は表面はともかく内心では、娘の器量や学力を
   競い合い煩悶したに違いない。
   10日間のお陰で、その戦いから私は「いーちぬーけた」わけである。

   高嶋易断に始まり、四柱推命・お御籤・タロット・六星占術……、女性は占いが好きである。
   稀に関心がないと答える人もいるが、可愛げがないというか人付き合いが悪いというか、
   女性にとって占いはご挨拶なのである。

   心斎橋の路上で、占い師になんどか声をかけられたことがある。
   手相や顔相の絵を描いた大きな垂れ幕が、所在なさげだった。
   「ちょっと、ちょっと、そこの貴女、そう貴女」と呼び止められた。
   雑踏の中で私一人が手招きされ、不吉な相でも出ているのかと不審気な私に、
   品の良い初老の占い師は、左手をと、有無を言わさぬ口調で言った。
   恐る恐る手を差し出すと、
   「ああ、やっぱりな。あんたは男運が悪い、可愛そうに、苦労するな。運命線の……」
 
   私が子供の頃、両親は離婚をした。母親に引き取られた私はそれっきり父とは会っていない。
   父親っ子であったのにも関わらずである。
   あの細木数子さんの本にも、水星人マイナスは父親との縁が薄いとあるではないか。
   なるほど、父親も男の部類に入るなら、男運が悪いと言えなくも無い。
   
   1ヵ月後、また同じことが起った。
   「ああ、やっぱりな。可愛そうに……」
   私は男運が悪いそうよと、流石に夫に言うのは気の毒で、気のおけない男友達に話した。
   即座に彼は言った。
   「阿保やな。ただで手ェ握られて。ぼおっとして歩いてたらあかんよ……」

          

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