川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                  鬼門の街 



     丑寅(うしとら)、すなわち北東の隅にあたる方向を鬼門という。
     この方向は鬼が出入りし、集る場所らしい。

     我が家のようなささやかな家でも、鬼門には鬼が嫌うという柊を植えている。
     鬼にどれほどの効果があるのかは、いたく疑問ではあるが、うっかりしていると
     尖った葉先で顔や腕を引っかかれ、痛い目にあう。

     北河内の門真市はまさに鬼門のど真ん中、ストライクゾーンである。
     この地方一帯は大坂城の北東に位置する関係で、企業進出がなかなか進まなかった。
     そんな中、松下電器産業株式会社(現パナソニック)の創始者、松下幸之助が日本地図を
     指差し「日本全体が北東に伸びており、日本すべてが鬼門である」と、
     1932年、本社と工場を福島区大開から、蓮根畑ばかりだったこの地に移転した。
     以来、鬼の住むという地は企業城下町として栄えている。

     先日知人から、パナソニックの松下会館で会席料理を食べる会があるけれど、どうする?
     と、誘いを受けた。頃は秋、会席料理の美味しい季節である。一も二もなく、
     「行く!」と返事をした。

     美味しい蓮根料理の数々が頭に浮かぶ。
     白和え、煮物、天ぷら、蓮根餅、すり流し……

     門真市がある河内平野は今から4000年前は河内湾と呼ばれる海の中だった。
     やがて沖積作用が激しくなり、湾は次第に埋められてゆく。
     門真の名前の由来である「潟沼(かたぬま)」が、それを物語っている。
     やがて水郷農村として集落が形成され、低湿地を利用した蓮根栽培が盛んになった。
     奈良の春日若宮おん祭には、「河内レンコン奉納行列」が行われるほどのブランド
     ものである。


     京阪電車「西三荘駅」を降りると、そこはもうパナソニックの入口である。
     みわたす限り、パナソニック、パナソニック……。
     まず松下幸之助歴史館の見学から始まった。

     豊臣秀吉を筆頭に、日本人は立身出世ストーリーが大好きである。
     近年では、松下幸之助がその最たる人物だ。
     大正6年、東成区猪飼野(いかいの)の借家の二間から、妻と義弟(後の三洋電機の創業者)の
     3人で始めたソケットの製造販売、それが今や従業員約367,000人の大企業である。

     入口正面には3メートルにも及ぶ、幸之助の銅像が私達を出迎えてくれる。
     「こけたら、立ちなはれ」
     「失敗することを恐れるより、真剣でないことを恐れたい」
     そんな言葉の数々が聞こえてきそうだ。
     柔和な顔に見入っていると、早く早くと歴史館にせかされた。

     館内には、大正・昭和が広がっていた。
     乾電池・低温やけどで水ぶくれをつくった電気あんか・ハンドル付きの洗濯機・
     村に二件しかなかったテレビ。
     大人も子供も相手の迷惑を顧みず、テレビを見せてもらいに押しかけたものだ。
     氷から電気に変わった冷蔵庫……。
     どれもこれも懐かしいものばかりだった。

     あかるーいナショナル  あかるーいナショナル
     ラジオ テレビ なんでもナショナール

     昨日今日のことはすっかり忘れるのに、スラスラとコマーシャルソングが飛び出した。
     『なんでパナソニックなの。松下電器やナショナルの方が馴染みがあるのに……』
     松下という姓は、家が松の大樹の下にあった事に由来するらしい。

     大樹といえば門真市には「大阪緑の百選」の第1位に選ばれた、天然記念物の楠がある。
     名を「薫蓋樟(くんがいしょう)」という。

     門真市三ツ島の地に三島(みつしま)神社は鎮座する。
     本殿の前に風格ある薫蓋樟はそびえ、滴るような緑が空いっぱいに広がっている。
     その昔は、京と浪速を往来する旅人達の目印になっていたに違いない。

     新緑の頃は清々しい香りと、緑の蓋を被せたように見えることから「薫蓋樟」と呼ばれて
     いる。
     見上げていると夜空の星を眺めているような敬虔な気分になってくる。
     精気に包まれている心地よさに、細胞の1つ1つが深呼吸するようだ。
     神秘的な生命の力強さ。

     注連縄を張った幹から四方八方に枝が伸びているが、驚くことに支柱で支えられた枝は
     1本だけである。あとは自力で枝葉を繁らせている。
     幹回り12、5M、樹高は約25M、樹齢は千年である。
     だがなんと豊かに瑞々しい1000歳だろう。
     私は幹に頬を当てる。

     本殿も境内も楠に包み込まれるように抱かれ、安心しきっているようだ。
     枝のあちこちから鳥のさえずりが聞こえる。それも幾種類ものさえずりだ。
     楠の根元には古色蒼然とした歌碑が建っている。

     村雨の雨やどりせし唐土の松におとらぬ 樟ぞこの樟 
                                 千種有文(ちぐさありふみ)

     鬼門の地門真は招福の地でもあるらしい。
     ちなみに期待の蓮根料理は酢蓮根のみだったが、これも特産の慈姑(くわい)の胡麻和えは
     美味だった。