川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                      奇病に罹った




     奇病にかかってしまった。
     60年以上も生きてきて、それとは40年以上も係わってきたのに、それはこの夏、突然に
     やって来た。

     お酒が飲めなくなったのだ。正確には飲みたくなくなったのだ。
     6月7月、私はいたって正常だった。ビールが美味しかった。
     こんなに体を冷やして大丈夫かというほど、クーラーのきいた部屋で飲むビールは
     美味しかった。
     なのにお盆を過ぎたある日、急に欲しくなくなったのだ。

     場所を変えてはどうだろうと、気に入りの店に行って試してもみた。
     中トロや海老のお造り、揚げたての天婦羅、鱧の鍋……、
     普通ならビール、冷酒、最後はやはりビールで締めるところなのに、
     やはりいつもとは違う。

     お酒欲しくない病の私は、昔、流行ったコマーシャルの、「クリープを入れないコーヒー」
     あるいは「青菜に塩」状態だ。

     友人達は狐につままれたような顔で、私を痛ましげに見、「こっちまで元気がなくなる」
     と、彼等のジョッキもなかなか空にならない。
     『貴方たちを楽しませるために、私は飲んでるんじゃない!』と、
     内心で憎まれ口をたたきながらも、本人が一番戸惑っている。
     食欲はなくてもお酒だけは飲めたのに……。
     一体なにが起こったというのだろう。

     私の周囲はお酒大好き人間ばかりだ。
     こんなことなら下戸の友人も持っておくべきだったと、遅まきながら後悔をしている。
     「ケーキバイキングにいかない?」
     なんて、私が声をかけたら、きっと友人達は卒倒するだろう。

     心配してくれる友人達の第一声は、決まって、「もうビール飲めるようになった?」
     である。それも怖いもの聞きたさ、恐る恐るである。
     「ビールが駄目ならワインはどう? 日本酒ならいけるのと違う?」
     「みんな、あかんねん!!」
     
     お酒の飲めない人生は、何か忘れ物をしたようで面白くない。元気が出ない。
     いま、お医者さんから貰った薬を飲みながら、ちびりちびりとビールを飲む練習を
     している。

     これが奇病でなくて、なんだろうか。