川上恵(沙羅けい)の芸術村
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河内再発見 
      


               隠れ切支丹の里


    河内には楠が多い。
    神社や寺院の境内には必ずといっていいほど、樹齢何百年といわれる巨樹が聳える。
    その幹には約束事でもあるかのように注連縄が張られている。ご神木だ。
    楠は一年中、濃い緑色を滴らせ、季節によっては樟脳の涼やかな香りがした。
    御神木にはこれまた必ずといっていいほど、白蛇や狸、
    そして狐が住み着いていると言い伝えられている。八百万の神である。
    河内には至るところに神様がおわすのだ。
 
    もう半世紀も昔の話だ。
    妊娠しているわけでもないのに、母のお腹がカルメラのように膨らんできた。
    何を思ったか、祖父は狸を祀っているお宮に母を連れて行き、祈祷を受けさせた。
    多分、突き出たお腹を見て狸を連想したのだ。
    白い衣をつけた神主は母のお腹に向かって幣をふり、
   「お狸様がついておる!」と叫んだ。
    祖父も母も神妙に頭を下げ、御神託を聞いていた。
    挙句に七日間、家の門口に薄揚げを供えることとなった。
   『ばっかみたい。油揚は狐やのに』
    私は白けた目で大人達を眺めていた。
 
    またある時は、御神体が石だという神様へもお参りした。
    漬物石のような御神体が、信者達の手で撫で回されていた。
    手の脂や手垢で、石はぬめりとした光沢を放っている。
    やがて赤い袈裟を掛けた教祖様が、しずしずと奥から現れた。
    なんと、近所の農家の小母さんだった。驚いた私は横目で母の顔をみた。
    素直というか、単純というか、母は有り難そうに近所の小母さんに手を合わせていた。
    ばっかみたい、今度は声に出して呟いた。

    余りに身近に神様達を見すぎた私は、河内の神々を軽んじ、
    キリスト教という異国の信仰に憧れた。
    長崎・大浦天主堂、天草四郎、細川ガラシャ、教会のステンドグラス、
    シスター、クルス、隠れ切支丹、賛美歌……。
    神聖で清浄、規律ある質素な生活。
    多感な私には、キリスト教は土着の宗教とは対極にあるように思われた。
    それは、選ばれた人だけの高尚で特別な宗教。
    騒がしい河内とは無縁の、汚れなき沈黙の宗教だった。
 
    ところがである。
 
    大阪と和歌山の県境に天見の里はある。山懐に抱かれた穏やかで美しい村だ。
    別名、南天の里とも呼ばれ、冬になると真っ赤な実をつけた南天が里を彩る。
    そして里にはもう一つの顔がある。
    驚くことに、南河内のそれも一番南の端は、隠れ切支丹の地であった。
 
    天見の里のある河内長野市は、平安時代から交通の要路であった。
    東高野街道・西高野街道・中高野街道・下高野街道が合流し、高野山に至る。
    高野詣で賑わった歴史ある町だ。
    街並みや街道に、いまも随所にその面影を見ることが出来る。
 
    中世の天見は、甲斐の庄と呼ばれていた。
    城主は土豪でキリシタンの橘長治(甲斐庄氏の別名) 。
    織田信長は仏教を抑えるためキリスト教を奨励したので、城周辺には多くの信者が集り、
    南河内の切支丹文化の拠点となっていたという。
    また城主の妻と高山右近の妻は姉妹であったとか。
    意外な接点、歴史はまことに面白い。
 
    天見の里は、四囲を低い山に囲まれた盆地である。
    のどかな風景が広がる中を、流谷まで歩く。
    刈り入れの済んだ田を焼く、薄紫の煙が、一筋立ち上っている。
    煙のいがらっぽい匂いが、郷愁をさそう。

    せせらぎの音を聞きながら、緩やかな坂道を登って行くと、田圃の脇に、
    大人がしゃがんだくらいの石の碑が、小さな堂の中に収まっていた。十三仏である。
    村の信者達が、初七日から三十三回忌までの追然供養に、
    大日如来や虚空蔵菩薩、薬師如来、観音菩薩など十三の仏を、
    一枚の岩石に刻み込み、生前に建立したものである。
 
    舟形の石碑には、承応二年(1653)10月15日という年月日と、
    二十名の信者名が刻まれている。
    そのなかにシタニやテウロ、浄金禅門などのクリスチャン・ネームらしきものが
    見える。浄金というのはヨハキンと読むらしい。
    幕府が禁教令を出したのは1613年、彼等は極刑の危険をも省みず、
    なぜにその名を掘り込んだのだろうか……。
    信じるものを持つ者の強さである。あるいは安らぎ。
 
    当時、この地には二百名ぐらいの隠れ切支丹がいたという。
    流谷という地名もいわく有りげだ。
    一瞬、目の前の畑で大根を抜いている農夫と、鍬と信仰を手にした、
    健気に敬虔だった彼らの姿が重なった。
 

    切支丹に憧れた少女は、最近、河内の神様が気になって仕方がない。
    キリスト教に比べればちょっと格は落ちるけれど、河内の神々も剽軽で、
    愛らしくていいなと思っている。
    あの神社のお狸様や漬物石は、今も健在だろうか。