川上恵(沙羅けい)の芸術村
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             北緯34度342分   




     かるーい鉄道オタク、電車大好き人間である。
     鉄道オタクにも種類があって、乗り鉄、撮り鉄、音鉄、模型鉄、廃線間近の路線や
     廃止間近の列車に乗る、葬式鉄というのもある。
     私は乗り鉄だ。

     疲れが極限に達すると、ふらりと家を出て最寄の駅に向かう。
     この時点では、まだ行き先は決まっていない。
     だが鄙びた郊外の景色を心は欲している。吉野まで各駅停車で行こうか、それとも琵琶湖を
     一周しようか、そうだ、海沿いもいいな……。少し楽しくなってくる。

     来合わせた普通電車に乗る。
     ガタゴトと線路の振動が心地よい。窓の外が空いっぱいになったり、
     緑色に包まれたり、潮の匂いが漂ってきそうだったりと、優しく懐かしい景色が車窓を
     流れる。
     2、3時間も揺られていると、体中の強張りが消えてゆく。
     電車は私にとっての揺り籠である。

     ある朝、突然、もどきとはいえ乗り鉄人間なら、日本最北端と最南端の鉄道駅だけはみて
     おかなければと思った。思い立ったら行動は早い。これが長所でもあり欠点でもある。


     『日本最北端の駅・北緯45度25分03秒』の標識が、稚内駅構内に立っていた。
     駅舎をレール跡が横切り、その先の駅前広場に黄色いレール止めが置かれている。
     JRの北の最果て。これが見たかったのだと、金属のレール止めに触れてみる。
     晩秋のレール止めは驚くほどに冷たい。

     指先に冷たさを残したまま、一路、鹿児島へと新幹線を乗り継ぎ南下する。
     最南端の西大山駅は、真正面に開聞岳が美しい無人駅だった。
     北緯31度11分、返り花がホーム脇に咲いている。
     この山を眺めながら特攻隊が飛び立ったのだと、目頭が潤む。
     若き特攻隊たちを慰めるために、桜が咲いているのだと、薄桃色の花にも涙が滲む。

     5日間の走行距離は、6、200〜6、300km。
     乗りにも乗ったり、地球の半径分(6、378km)の距離である。
     この旅で私は「北緯」の認識を新たにした。
     小学校の社会の授業で、日本標準時子午線が引かれている明石は、東経135度だと、
     くどいほどに教えられた。
     だが緯度については教わっただろうか。記憶が曖昧である。
     経度に比べ緯度は影が薄かった。
     急に自分の住む街の緯度が気になりだした。

     北緯34度342分、東経135度355分に藤井寺市は在る。
     この北緯と経度上あたりは、古代、日本の臍だった。
     体積では日本一を誇る応神天皇陵、万葉集「こもよみこもちふくしもよ」で馴染みの
     雄略天皇陵、はたまた神話のヒーロー、日本武尊白鳥陵など、44基の「古市古墳群」が、
     狭い地域に点在する。
     河内王朝の存在がうたわれ、魏志倭人伝にその名が見える、倭の五王の陵墓が当時の威容を
     いまに伝える。

     大和が国のまほろばなら、藤井寺・羽曳野市辺りは、日本黎明の地といえるかも知れない。
     倭と呼ばれた小国が、日本へと脱皮する礎となった土地なのだから。
     そんな古市古墳群が百舌鳥古墳群と共に、世界遺産の暫定リストにあげられている。
     興味深い事に、堺市の仁徳天皇陵は、応神天皇陵と同一北緯上に築造されているとか。

     近畿で世界遺産を持たないのは大阪府だけだ。
     これだけ古い歴史を持ち、古墳という貴重な遺産を有しているにもかかわらずである。
     前方後円墳や前方後方墳は日本特有の形式だという。むやみに世界遺産を有り難がる
     つもりはないが、これがないと先人からの遺産を守れないのが実情だ。
     河内に世界遺産、なんとも痛快ではないか。
     華やかさには欠けるが、古墳群は河内人の大らかさと強靭な生命力の象徴のようだ。

     JR日本縦断の旅を終え、鉄道オタクとしては、一仕事やり終えた軽い達成感がある。
     だが待てよ、今回の旅の殆どは新幹線だ。それもグリーンが多かった。
     夜はホテルか旅館だ。
     真のオタクは新幹線など使わず、ローカル線で、駅々の趣を楽しむのではあるまいか。
     ペンキの剥げた粗末な駅舎、初めて目にする駅名、時間があればホームに降り立って、
     風雨にさらされたベンチに腰かけ、方言交じりで話す駅員さんと、二言三言、
     言葉を交わし、
     「気をつけて行きなさいよ!」
     「それじゃ!」と、発車間際の列車に飛び乗る。

     これが私の理想の旅のはずだが、現実は理想どおりにはいかない。
     馴染みのない東北新幹線では、車窓の景色があまりに早く流れすぎ、駅名すら読み取れ
     なかった。
     おまけに乗り続け、駅弁の食べ続けで、5日間で体重が2キロも増えてしまった。

     乗り鉄は食べ鉄でもあると知った。
     何より、北緯の概念は目から鱗だった。