川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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             橋を渡る  

   橋を渡るのが好きだ。
   川の向こうには、わずかに異なる世界が待っているような気がして、ロマンを感じるのだ。
   
そういえば「君の名は」で、岸恵子と佐田啓二が
   数寄屋橋で出会うシーンは良かったなあ……。

     ふと大和川には何本の橋が架かっているのか、気になった。

     大和川は奈良県山辺郡都祁村と宇陀郡榛原町との境界にある貝ヶ平山を源流地とする、
   全長68キロの一級河川である。

     支流の数は、佐保川・秋篠川・竜田川・石川・飛鳥川……、
   なんと一七七本もあるそうだ。
   大河の一滴はそれらの水を飲みこみ、大阪湾へと流れ込む。
   大和川にかかる橋梁は、上流の初瀬川も含めると七八本もあるらしい。
   もっともガスや水道管橋を含めてだが。


     そんな中で気になる三橋がある。

     吊り橋の「川端橋」、沈下橋の「大城橋」、そして思い出の「高野大橋」。
    【川端橋】は大阪府柏原市国分に架かる、長さ88M・幅1Mの吊り橋である。
    明治の頃までは渡し舟で対岸に渡っていたらしい。

      私は高所恐怖症である。細い吊り橋などもっての他だが、清水の舞台から飛び降りた。
    だが、最初の一歩がなかなか踏み出せない。
    やっと橋の中ほどまで来たと思ったら、後から自転車に乗った主婦が、
    すいすいと私を追い越してゆく。橋が横揺れに揺れ、私はしゃがみこむ。
   
「やめてよ、もう! 貴女太ってるんだから」

     【大城橋】は奈良県北葛城郡河合町と、奈良県生駒郡斑鳩町の間を流れる
    大和川唯一の沈下橋だ。長さは60M・幅2M・水面からの高さは1Mである。

      橋の下を美しいとは言い難い川面が揺蕩う。車がスピードを落とすことなく、
    次から次と沈下橋を渡るのには驚いた。
    橋の所々に、車よけの突起のようなものが作られている。
    私は車が来ないのを確かめて、一目散に大城橋を渡った。
    心臓がドキドキと音を立てている。
    だが川辺の光景のなんとおおらかで、生活と直結した懐かしさの漂っていることか。   


     トラウマで長い間渡りたくない橋があった。
   
【高野大橋】である。
    離婚した父母は、大和川を挟んだ松原市と大阪市に住んでいた。
    高野大橋はそんな二つの町を結んでいる。
私はその橋が大嫌いだった。

      家裁の調停で私と弟は母親に育てられることになり、
    父からは月々養育費が支払われることになった。
    金額は忘れたが、私と弟は父から母へ売買されたのだと、子供心に傷ついていた。
    だが私はそんなことをおくびにも出さなかった。姉としての自覚だった


      養育費は月々、書留で送られてきたようだが、稀に遅れることがあった。
    そんな時、お嬢さん育ちの母は元気がなくなった。
    沈んだ母を見るのはつらく、「お父さんをとっちめて、お金をもらってくる」と、
    殊更快活に私は言うのだった。正直、実の父親に養育費の催促に行くのは辛かったが、
    私が弟を守らなければ、と自分を奮い立たせた。
    けれども橋を渡る時の気の重さは、大声を上げて泣きたいぐらいだ。
    200メートルばかりの橋なのに、足はのろのろと小1時間もかかる有様だ。
    この橋が大雨に流れてしまったら、どんなに心が晴れやかになるだろうと、
    あり得ない事を願うのだった。


      ある日、私は弟と些細な事から喧嘩をした。
     「お姉ちゃんに逆らうのなら、今回はお父さんの家にあんたが行き」と意地悪を言った。
    中学生になったばかりの弟は「うん、ええよ」、いとも簡単に返事をした。
    私の心中は複雑だった。喧嘩したことを後悔した。


      私は弟に見つからないように、適当な距離をおきながら後をつけた。
    弟が泣いていたら、「いいよ、お姉ちゃんが代わりに行ってくるから」
    と優しく言うつもりだった。だが弟は泣いている風にもみえない。
      やがて行く手に高野大橋が見えだした。弟は振り返りもせず、真っ直ぐに歩いていく。

      ……きっとそのうちに引き返すに決まっている……、
    だが橋の袂にきても弟は立ち止まらない。
    それどころか、川の流れを面白がるように、右側の欄干から下を覗いたり、
    少し歩いては左側の欄干からまた川面を眺める。
    ひょっとしたら私がそうしたいと思ったように、川に飛び込んでしまうのでは
    という心配は、万に一つもなかった。
    いとも簡単に呆気なく弟は橋を渡り切った。拍子抜けするくらいに。


      あんなに嫌った橋なのに、半世紀近くが経った今、
    高野大橋は亡父へと繋がる懐かしい橋となった。
    今なら分かる養育費の遅れの理由が。
    父が意図的にしていたのだ、多分私に会いたいために。
    高野大橋には少女の頃の私がいる。
    そんな少女に「めえちゃん、えらいねえ、えらかったね」と、
    大人になった私は声を掛ける。頭を撫でてあげる。

      少女ははにかんだように私を見上げる。