川上恵(沙羅けい)の芸術村
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 河内再発見


勘助うちわ 

    
     私が原稿を書いている二00七年十二月二日、風林火山はクライマックスを迎えようとしている。
     「明日の朝、川中島は深い霧の中……」
     緑摩子扮するオババが、窓から外を眺め、勘助にそう告げる。勘助の顔色が変わり、
     すわ、決戦というところで次回となった。

     一九六三年、「花の生涯」にはじまり、四十六作目となるNHK の大河ドラマである。
     だが本誌が皆様のお手元に届く頃には、内野聖陽演じる勘助に代わり、
     宮崎あおいの「篤姫」が、茶の間で微笑んでいることだろう。
    
     実はこの山本勘助、私の住む藤井寺市とは深い関わりがあった。
     大和川から数分のところに、津堂城山古墳というなだらかな小丘がある。
     四世紀末、河内平野に最初に出現した巨大前方後円墳である。
     ちなみに藤井寺市と羽曳野市にまたがる古市古墳群はいま、世界遺産登録に向けて脚光を浴び、
     地元民は熱い。

     濠には菜の花、菖蒲、コスモと四季折々の花が咲き、市民の憩いの場である。
     戦国時代、永禄の頃、武田家の謀臣山本勘助は三好氏の動向を探るべく、
     河内の国にやって来た。
     折柄、三好の一族が小山( 津堂城山) の砦に籠り畠山と争い始めたのである。
     二重の濠と堤をめぐらし、総長四三六メートルにも及んだ巨大古墳は、
     戦国の世には格好の砦となり、出城が築かれていたのだ。
 
     この動き、暫く様子をみる必要があると、勘助は小山の地に住まいをする。
     そして姓名を浅野文吾となのり、かくれみのの生業として団扇を作り商ったという。
     河内名所図絵には団扇を商う横で、虚無僧が尺八を吹きながら内部を覗いているという、
     意味ありげな挿絵が描かれている。
     一種奇特の手練によって作られたこの団扇、骨が強く、その面は清く、
     柄を座上に立てても倒れないという、優れものであった。

     しかし団扇を造り続けるのは彼の主意ではなく、二年後には村人に製法を伝え、
     飄然と河内の地を去った。
     その後、村人は浅野文吾の名を受け継ぎ、一子相伝の秘法とし、
     小山団扇としてその名を高く世に広めたのである。
     山深い美濃の国と河内の藤井寺、点と点が結ばれて線になる。歴史が身近になる瞬間だ。

     団扇づくりは、日本が高度成長期を迎える昭和四十五年頃まで粛々と続き、
     一枝十数年の使用に耐える、伝統ある精良品を守り続けた。
     丸い柄の団扇には素朴な風格さえ漂う。
     真竹の男竹を丸竹のまま使った柄の中には密書を隠したらしいと、
     今も実しやかに囁かれているのは面白いことである。

     テレビでの勘助は精悍な二枚目であるが、実際には風采の上らない人物だったようだ。
     へそ曲がりの私は思うのだ。美男美女ではなく、実物大の風貌の人物がブラウン管で
     主人公を演じたなら、その人物観や評価は変わるに違いないと。
     タッキーではない小男の義経。香取真吾ではない、拳骨が口に入るほどの大口でがさつな近藤勇。
     仲間由紀江とは違い、涼やかに耳をくすぐる声で話さない山之内一豊の妻、千代……。
     美しきことは清らなること、の信仰にも似た思いが崩れるかもしれない。

     先日、商工会で小山団扇のパンフレットを頂いた。
     丁度、我が家に来ていた母がそれを見て目を輝かせた。
     「あっこれ、小山団扇! 昔うちの家にこの団扇があってなあ。お客さん用に使ってたんや。
     子供の頃を思い出すわ、えらい懐かしいなあ……」
     家には客用の団扇と家族が使う団扇、そして竈で使う渋団扇の三種類があったという。
     団扇にランクがあるように、客にもランクがあり、土間の板の間どまりの客と居間に招く客、
     そして大事なお客は奥の座敷へと通された。
     小山うちわは座敷の客のみに使用されたそうだ。

     奥座敷に客が通ると、祖父は末娘の母を呼び客の後ろに坐らせ、団扇で風を送らせる。
     幼い少女に団扇は持ち重りがして、母は汗まみれになりながら両手で団扇を使ったという。
     「躾のようでけた、賢いお嬢ちゃんですな」
     「いやいや、おとんぼで頼りのないことですわ。これっ、もっとしっかりお扇ぎしいや」
     「勘助うちわでんな。井戸水みたいに風が冷やっこうて、ほんまに気持ちよろしいな」
     七、八十年も昔のことである。

     「丈夫な団扇でな。子供のころ使っていたものが、娘時分まで使えてたんやから。
     もっとも、大事に使ってたせいもあるけど」
     一子相伝だった団扇はいまや講習会が開かれ、市民に広く伝授されているが、
     実用品から伝統工芸品へとその姿を変えてしまった。 使ってこその団扇だと私は思うのだが。
     
                                               
                                               藤井寺市商工会 小山団扇より