川上恵(沙羅けい)の芸術村
 
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河内再発見

   二人の姫君   

地名はその土地の歴史を背負う顔である。
 星田・天野が原・
(かん)出来(でら)機物(はたもの)神社・天の川‥‥。北河内の交野市には、七夕と天空にちなんだ地名や伝承が星屑のように散らばっている。

弘仁年間の頃(810〜824)弘法大師が獅子窟寺にて秘法を唱えたところ七曜の星、北斗七星が降り、星の森・光林寺・星田妙見宮の三箇所に散らばったという。それが星降る街のルーツである。ちなみに、星田妙見宮の神は牽牛・織姫の二神である。天の川は天上に流れているとばかり思っていたが、河内地方にも流れていたのだ。
 貝原益軒のお墨付きもある。「南遊紀行」の中で、このように述べている。
――獅子窟寺より見下ろせばその川、白砂のひろく直にして数里を長くつづきたるは天上の天の川の形の如し、天の川と名付けしこと、むべなり――と。 
 市史によれば、
肩野(かたの)物部氏がこの流域で米作りを始め「甘い(おいしい)米のとれる野の意が天野になったとある。
 
〃Love is blind〃恋は盲目。
 恋の為に機織がおろそかになり、天の川を挟んで二人はひき裂かれてしまうという、天上の七夕伝説は有名だが、河内の牽牛織女の話も全くそれと同じである。

恋に溺れると何も見えなく、何も手につかなくなるという哀しい女の性は、いつの世も同じ事のようだ。もっとも私は男性になったことが無いので男性の心理は分からないが。反対に恋をすると仕事に励みがでるという、羨ましい女性もいるにはいるが。

河内の織姫は交野市(くら)()の機物神社に天棚機(あまのたなばた)比売(ひめ)大神(おおかみ)として鎮座し、かたや牽牛は隣の枚方市の中山観音跡に牛石としてその姿を現在にとどめる。二人は平成の世も年に一度、天野川の逢合橋を渡り逢瀬を重ね合う。

へそ曲がりな私は思うわけである。

「一年に一度だから飽きることも無く恋が続くのよ」と。ひき裂かれてよかったのだ。永遠の恋の始まりである。

そんな二人に想いを馳せ、毎年七月七日には盛大な七夕祭りが催され、色とりどりの短冊に願いを描いた笹飾りが、七夕伝説発祥の地・機物神社の境内を彩る。

生駒山に源を発し市の南東から北西に斜めに横切っている天の川は、恋を引き裂いている川でもあった。

 

星田の西二キロの所、寝屋川市にもう一人、有名な姫君がおわした。

「鉢かづき姫」である。

やんごとなき姫君は京に密やかに住まわっているとばかり思っていたが以外である。 生誕の地とされる寝屋長者屋敷跡は、山根街道沿いにあった。山根と言うのは山の麓の意で、この場合は生駒山の麓をさす。

案内板によると広大な屋敷であったことがうかがえる。

御伽草子や昔話に縁がなくなって久しい。「鉢かづき姫」のさわりの部分を紹介すると、寝屋長者夫婦に子供が無く、長谷の観音様に願をかけたところ女の子が授かり、観音様のお告げにより頭に鉢を被せるという話である。         元来、御伽噺と言うのは浦島太郎にしても、舌きり雀にしても残酷で恐ろしいものである。あの美しい竹取物語にしてもそうだ。姫は男達に無理難題を言いつけ、最後には月へと消えてしまうのだ。SFの世界そのものである。

そして、もう一つのパターンは継子いじめ。鉢かづき姫はこれに当たる。

鉢かづき姫には一種特有の怖さがある。頭にすっぽりと重い鉢を被せられるのだから。閉所恐怖症の私などは発狂ものである。また姫の肩こりはいかほどであったかと同情する。

どうして鉢を被る羽目になったのか、子供心に気になって仕方がなかった。が観音様のお告げとあらば納得せざるを得ない。神仏の言葉は絶対的なものだ。器量の悪かった私は思った。きっと姫は不器量だったのだと。それを心配した母は、女の子は年頃になると別人のように綺麗になることもある、それまでは世間の目から娘を守ろうと鉢を被せたに違いないと。蛹が蝶になるか蛾になるか‥‥。 ともあれ、姫は重い鉢のお陰で難の数々を救われ、幸せな結婚をするのだ。ようやく取れた鉢の下の顔は、お約束どおり美しい。

昔話や御伽草子は今の道徳本である。

心根の美しい人間になりなさい、苛められても苛められても耐えなさい。一生懸命、人の為に働きなさい。そうすれば幸せになれるのですよ‥‥と。清貧・勤勉・博愛・忍従etc.

それにしても私達に馴染みの姫君達が北河内地方におられたとは驚きだ。懐の深い土地柄だと嬉しくなる。ちなみに寝屋川市のマスコットキャラクターは鉢かづき姫である。

※ 交野市・寝屋川市ホームページ参照