川上恵(沙羅けい)の芸術村
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 河内再発見

浅見光彦探偵、出番です!  

 

    地雷也から百地三太夫にいたるまで、日本人は忍びの世界・忍者が好きだ。と思う。

    猿飛び佐助・服部半蔵・霧隠才蔵などなど名前を挙げれば限がない。「刀の下に心を置く」
     なんと痺れる言葉ではないか。

    河内の英雄といえば楠木正成(まさしげ)。能楽の大成者といえば観阿弥(かんあみ)
     万人の認めるところだ。なにが驚くといってこの二人、叔父・甥の関係にあるという。
     悪党と幽玄な能楽の確立者との意外な縁戚関係、日本歴史の花形スターに、
     同じ河内の血が流れているのだ。

    正成の名誉のために一言ことわっておくが、この時代の悪党とは、
     現代のように世間様を騒がせるような悪者ではなく、支配体系への対抗者や集団、
     あるいは山河や海を支配し、商業活動を行うものを言う。
     悪という言葉には「強い」あるいは「武勇に長けた」という、賛美の意味があるのだ。
     素人探偵よろしく、今回は二人の謎に迫ってみたいと思う。

    河内国(たま)(ぐしの)(しょう)橘入道正遠(まさとお)女。
     観阿弥の母である。ここでいう女とは、密やかに存在する愛人のことではなく娘の意味だ。

    橘入道正遠とは楠木正遠のことで、正成の父である。つまり二人は姉弟。
     やがて年頃になった正遠女(まさとおむすめ)は、伊賀の服部氏に嫁ぎ、
     観阿弥が産まれたという次第だ。
     その後、観阿弥は長谷の(さる)(がく)師の元に預けられ座を立てるのだが、
     決して母の素性を明かさなかったという。
     パトロンである足利氏に対立していた楠木正成の甥であることを隠すためであったと、
     まことしやかに伝えられている。

     一芸一能に秀でた者が名乗る「阿弥号」を足利義満より許され、莫大な支援を受け、
     猿楽が芸術性の高い能楽へと隆盛を極めつつあることを考えれば、
     義満の機嫌を損ねることは絶対に避けねばならないことであった。

    伊賀の服部といえば忍者の地、それも本家本元だ。
     「七方(しちほう)()」という忍者が変装する七つの形態がある。
     忍者は時々により、山伏修験・虚無僧(こむそう)・出家・商人・放下師(ほうかし)(手品や軽業師)・
     猿楽師・常の人(普通の人)と変装しながら、諸国を転々とし、諜報活動を行った。

    山伏修験と猿楽師、推理小説風に言えば、ここでも楠木正成と観阿弥は一本の線で繋がってくる。
     正遠女を接点とし叔父と甥は、忍びの技を変幻自在に生かし、それぞれの立場で手柄をたて、
     足跡を残す。

     「風姿抄」で白州正子さんは言っている。

   正成が伊賀忍者四十八人を手足とし、諜報活動に実績を残したことは、
     わずかな兵を持って北朝の軍を翻弄したことでも合点のいくことだと。
     奇想天外な戦術を駆使し、ゲリラ戦を得意とした正成が、葛城か熊野の修験山伏の忍者であっても
     不思議ではない。事実、正成の軍事力の財源は丹沙(水銀)や金剛砂(砥石や研磨剤)だといわれ、
     いずれにしても山師か山伏の熟練技に関係する。現代風に言うなら時代の先端を行く
     技術の新興集団。

   一部の忍術秘伝書には、正成は忍者の始祖とまで書かれているそうだ。
     一方、猿楽師として津々浦々を興行して回った観阿弥にも忍者説があって、
     忍びの世界もなかなかに人材が豊富だ、それも一流どころ。ここまで書いて、はたと気づいた。
     主君の仇討ちのために、様々な職業に身をやつし、あるいは遊び呆けた四十七士は
     まさしく忍びの者、忍びの術そのものではないかと。

     玉櫛庄からは、東の空の下に蒼く霞む信貴生駒連峰が美しい。山並みの向こうは奈良である。
     山越えの道は業平道と呼ばれ、木立が覆い被さる峻険な山道だ。

   能に「井筒」という演目がある。
     業平が河内・高安の女に思いを寄せているのを妻が嫉妬し、
     幼い日井戸の傍で遊んだことを回想する話である。
     このほかにも俊徳丸の「(よろ)法師(ぼし)」や、狂言では地獄で地蔵に救われる「八尾」など、
     河内が舞台になったものが多い。観阿弥や世阿弥にとって母方の里である河内は、
     馴染みが深く思い入れも一入だったに違いない。正成は勿論、観阿弥も見ただろう河内の風景。
     玉櫛(玉串)の川が流れ山裾には古墳が点在する。
     春には川沿いに桜がさき、桃色の長い帯が延々と続く。
     大声で開けっ広げ、陽気な性質の河内人間と、影の存在である忍びとの関係は面白い。
     ざっくばらんで気さくな河内の忍者も、愛嬌があって悪くない。

   はてさて、内田康夫さん描くところの浅見光彦探偵なら、
     正成と観阿弥の謎をいかように解き明かすのか、聞いてみたいところである。
     願わくば愛車の白いソアラで河内を駆け巡り、叔父甥説の根拠となる
     「上島文書」の真相究明にあたってもらいたいものだ。

   そういえば、忍びの起源は聖徳太子の()能便(のび)(諜報機関)によるとか。
     次から次へと湧き出る謎。浅見探偵、出番ですよ!