川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                 有難う



     ここ2週間の間に大事な人を2人なくした。
     1人は、私が生まれて初めて、このように生きたいと手本にした人だった。
     97歳だった。出会って7年にしかならないが、その期間が短いのか長いのか私には
     分らない。
     彼女の事を限られたスペースで書く筆力を、悲しいかな私は持たない。
     そんな人だった。
     
     もう1人は……。

     小学校6年生のとき、彼女は和歌山から転校してきた。
     少し和歌山なまりのある、素朴な土の匂いのする女の子だった。
     彼女は母親の連れ子だった。両親が離婚した私には、父親がいない。
     それに名前は私と同じ「恵」。そんな2人は当然のように親しくなった。     
     口には出さなかったが、お互いを慰めあっていたのかもしれない。
     小さな同士だった。

     中学校になって、学校が別々になっても帰宅すると一緒に過ごした。
     高校になってもそうだった。
     だが、20歳を過ぎ、それぞれが家庭を持ち、お互いの幸せを確認をすると、
     安心したように、自然に離れていった。
     以来たまさかの電話ぐらいで、会うことはなかった。
     それで充分、お互いが分り合えていた。
     

     彼女の訃報は突然だった。
     駆けつけたメモリアルホールの入口で、「お名前を」と言われ、
     「川」と書き始めると、「川上恵さんですか」と、受け付けの女性から声をかけられた。
     「彼女から、よく伺っていました」と、
     いっしゅん懐かしげな表情が、女性の顔に浮かんだ。
     
     彼女は自分の友人に私の事を話していたのだ。
     それなのに私はといえば、彼女の事を話題にしたことはなかった。
     私は自分の薄情さに体が硬直する思いだった。
     遺影の彼女は、子供の頃と同じ笑顔で私を見ている。
     旅行の時のスナップ写真を引き伸ばしたのだろう、写真の彼女は少し眩しげに笑っている。

     気を利かせた家族の人達が、祭壇から離れ、つかの間、私と彼女の2人だけにしてくれた。
     「有難う。貴女のお陰で、私は寂しい子供時代を過ごさずにすんだのよ。
     ほんとうに有難うね。楽しかったね」
     言いたいことは一杯あるのに、有難う以外の言葉は出てこない。

     彼女達は若葉のなかを、颯爽と旅立って行った。
     清々しい新緑の似合う2人だった。
     
     大事な失くしものをくり返して、人は「有」の意味を知るのかもしれない。