川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                  甘えない犬



     甘えない犬だった。雑種という自分の分を知っている犬だった。
     庭の片隅にある小屋の中で、夏も冬も健気だった。
     朝夕の食事と散歩、そして「ネルちゃんはかしこいね」の家族からの言葉、 
     それだけで良しとした、白い雌犬だった。
 
     ソフトバンクのコマーシャル犬にそっくりと、小学生たちに人気だった。

     尻尾がちぎれるほど振って喜ぶのに、
     頭を撫でられたり、体に触れられるのは嫌いだった。
     トイレの時は、少し上目づかいのうるんだ目で、私を見上げては、
     恥ずかしそうに用をたした。雑種としての謙虚さ、可愛さを持った犬だった。

     人間も犬も、健気に聞き分けが良いというのは、実に始末が悪い。
     聞き分けが良ければよいほど、健気であればあるほど、
     そう仕向けてしまったことに、謝罪のような気持が湧いてくる。

     ネルはそんな、いじらしくも元気な犬だった。
     
     去年の春、日向ぼっこ仲間だった私の母が亡くなって、急にネルは弱った。
     まず後ろ足が駄目になった。それでも弱音をはかず、散歩をまちかね、
     びっこを引きながら大和川の土手を歩いた。

     ある日、電話がなった。近所の人からだった。
     「ネルちゃんに似た犬が、すごい勢いで走り回っているの。
     でもネルちゃんは足が悪いしね。でも、そっくりなの。
     まるで白い狐が飛んでいるような走り方よ。疾走って感じ。
     まさかと思うんだけれど、ネルちゃんがいるかどうか、確かめてみて。
     似た犬が走っていた所は、公園から大和川への道よ」

     
     慌てて庭を見ると、ネルはいなかった。
     鎖をつけたまま脱走したのだ。

     近所の人達、夫、私の5人で、ネルを探し回った。
     ようやく探しあてたとき、ネルは飛ぶように走っていた。
     鎖をジャラジャラ鳴らしながら、楽しくて仕方がないとばかりだった。
     捕まえるのに苦労するほどだった。

     それが最後の勇姿だった。
     以来、両の後ろ脚はその機能を失ってしまった。
     あんなに飛び跳ねたのが嘘のように、ダランとぶらついている。
     それでもネルは這って餌を食べ、水を飲む。
     私は中腰で、前足だけで踏んばる犬と一緒に歩く。
     どんなにボロボロになっても、ヨレヨレになっても、
     健気な犬は最後まで健気だ。私に愛想をする。
     そして生き抜く姿を見せる。
     涙が流れる。


     荒い息遣いに、ネルの腹は激しく上下に波打っている。
     あんなに触られるのが嫌いな犬だったのに、
     いま私は頭といわず背中といわず足といわず、さすり続ける。
     もう少しでネルは20年を迎える。人間でいうと94、5歳だ。
     「よう歩いた足やったねえ、丈夫な足やったねえ……」
     ネルは紗がかかった灰色の、もはや見えなくなった目で、
     虚空の一点を見つめている。
     私の声を見つめているのだ。

     ふいに30年も昔の、父の言葉が思い出された。
     亡くなるひと月ばかり前のことだ。
     無邪気に私は聞いた。
     「お父さん、もし願いがかなうとしたら何が一番してみたい?」
     即座に父は答えた。
     「思いっきり走ってみたい」


     2011年8月7日、午前10時15分
     私と夫に頭を撫でられながら、ネルは最期の時を迎えた。
     小さな痙攣が起きて、ネルの尻尾が揺れた。
     左右に5、6回、振るように揺れた。
     それは「サヨナラ」の挨拶に思えた。

     ……走る力が残っている間に、思いっきり走りたかったんだね。
     思いっきり走れて良かったね。気持よかったねえ……