川上恵(沙羅けい)の芸術村
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             あびこさん





     「あびこさん」に、節分のご奉仕に行くようになって、もう30年近くなる。
     ご奉仕といっても、お札やおみくじを売る係りである。
     ごめんなさい! 神聖なものを、売るだなんて。
     正しくは参詣者にお渡しする係りである。

     吾彦山・あびこ観音寺は、546年に聖徳太子により開基されたと伝えられる、
     厄除けの寺である
     霊験あらたかな観音様は、日本最古であられる。
     節分をはさんだ3日間は護摩がたかれ、人出の多さはテレビカメラが入るほどだ。
     
     奉書で作った天蓋を天井から吊るし、その下で護摩は焚かれる。
     炎が龍のように天井まで舞い上がり、天蓋は火勢にあおられ四方八方に踊りくるう。
     火花が飛び散る。
     天蓋に火が飛び散っても、けっして燃えることはない。黒くすすけるだけだ。
     護摩が焚かれている間中、行者さんたちの読経とほら貝の音が境内中に響きわたる。

     私が奉仕をする場所は、護摩堂の前と決まっている。
     雪が舞う年も、氷雨の年も、怪我で入院をした年以外は、休むことなく吾孫子さんに
     通った。
     護摩の炎を眺め続け、煙をまとった。
     「よう、おまいりでした」
     お札やおみくじを渡す時の言葉も、滑らかになった。
     
     奉仕をする人は一様に、灰色の上着に朱色の袈裟をかけている。
     『えべっさんの福娘と、えらい違いやなあ……』
     上着に手を通す時、私はきまって自嘲気味に呟くのである。


     今年息子は後厄である。
     奇跡的に回復をしたものの、彼は大きな病を持って生まれた。
     その息子が43歳になったのだ。
     
     なのに1月の暮、私は体調を崩した。
     血圧が200を越してしまったのだ。あびこさんの事が気掛かりだ。
     息子の「開運・厄除け」が、気になって仕方がない。
     節分の日まで、安静に寝て過ごした。
     血圧は少し下がった。
     家人は心配をするが、今年を行かずしてどうするのだ。
     誰がとめても、私は振りきって行く。
     今日の日のために、私は30年近く護摩堂の前に座り続けたのだ。
     息子の後厄を払う日までと……。

     偉そうな事をいっても、格好をつけていても、しょせん母親とはこんなものだ。

     
     「また凶や」、おみくじに一喜一憂する人たちに、
     「凶はこれから上昇していくから、そう悪くもないのよ。気になるなら、
     おみくじをその辺に結んでいって。よう、おまいりでした」
     こうして今年の節分も無事に終った。
     私は一仕事し終えたような、深い安堵感に包まれている。
     
     春がそこまでやってきている。